最初に紀元後の世界史をまとめておきましょう。
ローマ帝国五賢帝時代(1~2世紀)
→軍人皇帝時代→ディオクレティアヌス専制君主制(3世紀)
→キリスト教国教化、東西分割(4世紀)
→西ローマ滅亡、フランク王国(5世紀)黄巾の乱(180)→三国時代(3世紀)
→西晋による統一(3世紀)
→五胡十六国、東晋(4世紀)
→南北朝(5世紀)インド、グプタ朝(4世紀)
隋(589)→唐(618)→安史の乱(755)
→遣唐使廃止(894)→唐滅亡(907)
→五代十国→宋(960)
遼(916)ムハンマドの聖遷(622)
→正統カリフ時代(632)
→ウマイヤ朝(661)→アッバース朝(750)
→ブワイフ朝、ファーティマ朝(10世紀)ユスティニアヌス大帝(6世紀)トゥール・ポワティエ間の戦い(732)
→カロリング朝(751)、ローマ教皇領
→カール戴冠(800)
→ヴェルダン条約、メルセン条約(9世紀)
→オットー戴冠(962)、カペー朝(987)
セルジューク朝(11世紀)→第1回十字軍(1096)
ノルマン朝(1066)→プランタジネット朝(1154)金(1115)→南宋(1127)
モンゴル帝国(1206)→ワールシュタットの戦い(1241)
→元(1271)→明(1368)ティムール帝国(14~15世紀)ヴァロワ朝(1328)→百年戦争(1339)東ローマ滅亡(1453)モスクワ大公国独立(1480)
レコンキスタ完了(1492)
大航海時代(15世紀後半~)
マルティン・ルター宗教改革(1517)
→三十年戦争(1618)エリザベス1世(在位1558-1603)
フェリペ2世(在位1556-1598)
→アルマダの海戦(1588)モスクワ大公国→ロシア(1547、イヴァン4世)
→ピョートル1世(在位1682-1725)清教徒革命・名誉革命(17世紀)後金(1616)=清(1636)ルイ14世(在位1643-1715)
スペイン継承戦争、オーストリア継承戦争、七年戦争(18世紀)
→イギリス覇権、産業革命
→ヴィクトリア時代(在位1837-1901)
アメリカ独立(1776)
フランス革命(1789)
ナポレオン(在位1805-1815)
ウィーン体制(1815)→七月革命(1830)、二月革命(1848)
イタリア統一(1861)、ドイツ統一(1871)
1世紀~5世紀:ローマ帝国全盛と分割、三国志から南北朝
まずは漢委奴国王が金印をもらった1世紀。
帝政ローマでは1世紀なかばに、キリスト教迫害で有名になってしまったネロ皇帝が出てきますが、1世紀終わりからは五賢帝の時代で、ローマ最盛期となります。
2世紀は後漢が大変で、2世紀後半に黄巾の乱が起こります。このあたりから「三国志演義」の世界になっていきますね。
ちなみに漢は、紀元前後のころ前漢が滅んで、すぐに後漢として復活しました。
3世紀は、邪馬台国が出てきたり、前方後円墳が造られ始めたり、大和朝廷が成立したんじゃないかと言われたりで日本もいろいろありますが・・・
中国は動乱の時代ですね。魏呉蜀、三国ができるのが3世紀前半。その後、晋が一時統一しますが6世紀終わりの隋による統一まで基本的に動乱の時代です。
3世紀のオリエントは、ササン朝ペルシャがパルティアを倒して覇権を握ります。パルティアはローマと争って疲弊してたんですね。
そのローマはと言うと、3世紀は軍人皇帝時代という乱れた時代。それを3世紀終わりに、ディオクレティアヌス帝が終わらせます。
ディオクレティアヌスさんは、皇帝権力を強めてドミナートゥス、専制君主制を開始。ついでに四分割統治も開始。
次の4世紀、日本では神功皇后が活躍したと言われています。
中国は、西晋が4世紀はじめには異民族の反乱で滅んで、五胡十六国の乱世となります。南に逃げていた皇族が東晋を建国して、晋はとりあえず続きますけどね。
おなじころ、ローマ帝国も大きな変化の時期で、キリスト教を国教化し、その直後の395年には東西に分裂します。
で、4世紀後半にはゲルマン民族大移動も本格化して、混乱に拍車をかけます。
バラバラの中国やローマとは対象的に、4世紀のインドでは久しぶりに統一王朝、グプタ朝ができました。
グプタ朝時代はインド文化黄金時代で、ヒンドゥー教も発展しましたし、サンスクリットも公用語となりました、
5世紀。日本では倭の五王がおなじみ。五王の5世紀。
中国では439年、ヨサク年に北魏が華北を統一します。でもまだ南北に分かれてるので南北朝時代と呼ばれます。
倭の五王は南朝宋に使者を送りましたね。
5世紀の地中海世界は大変です。ゲルマン民族大移動の一因となったと言われるフン族、そのフン族のアッティラ大王が攻めてきます。
451年、カタラウヌムの戦いで、ローマ・西ゴート連合でアッティラ大王を撃退しますが、ローマ側のダメージも大きかったのか・・・
476年には、オドアケルさんによって西ローマは滅びます。「いや滅んでない」という説もありますがここでは置いておきましょう。。
一方、新しい勢力も生まれていて、481年にはフランク族のクローヴィス1世がメロヴィング朝を打ち立てます。フランク王国の始まりです。
ちなみに5世紀後半からイングランドでは、伝説のアーサー王が異民族撃退で活躍したと言われています。アーサー王とワカタケル大王がだいたい同じ時代です。
6世紀~10世紀:中国再統一と宋南遷、イスラム帝国とヨーロッパ世界
6世紀。日本は物部氏と蘇我氏の対立から、世紀末に聖徳太子の政治へ入っていきます。
ローマではユスティニアヌス大帝が地中海世界を再統一します。ローマ法大全も作ってるし、東ローマでいちばん有名な皇帝かも。
中国も6世紀には隋が再統一します。初代皇帝は楊堅さん、文帝です。589年に統一。でも2代目の煬帝さんまでしか続きませんけどね。
ということで7世紀。日本では聖徳太子の政治から大化の改新、壬申の乱と続いて天皇中心の仕組みが出来上がる時代。
618年に李淵さんが、唐を建国するけど、特に力を持ったのは2代目の太宗、李世民さんで、父を幽閉し、兄を倒して2代目皇帝になり、混乱していた中国を統一しました。
だいたいおなじころ、インドにはヴァルダナ朝という王朝ができますが、ここはほぼ、ハルシャ・ヴァルダナ王一代限りの王朝です。
西遊記でおなじみ三蔵法師、玄奘さんが訪れた時代ですね。まあリアル三蔵法師には孫悟空とか強いお供はいなかったけど。
でこの7世紀はじめは、オリエントでも大変動が起こります。
ムハンマドさんが610年に大天使ジブリールから神の言葉を受け取って、イスラム教が始まった時代です。
ムハンマドさんは622年にメッカからメディナに移りましたがこれを聖遷、ヒジュラといいます。このとき初めてイスラム共同体ができたので、この歳がイスラム暦の元年です。
ちなみに622年は聖徳太子が亡くなった年でもあります。
ムハンマドさんは632年に亡くなりますが、それからしばらくは正統カリフ時代。この時代にササン朝ペルシャをニハーヴァンドの戦いなどで破って、ササン朝は651年に滅びます。
そして661年にはイスラム王朝のウマイヤ朝ができます。
8世紀。日本はほぼ奈良時代。
ウマイヤ朝が勢力を広げて、ジブラルタル海峡をこえて、イベリア半島まで支配下に置きます。このままではヨーロッパ全土を支配してしまうかもしれない。
ということでメロヴィング朝の宮宰、カロリング家のカール・マルテルさんが、トゥール・ポワティエ間の戦いでウマイヤ朝軍を破って、なんとかイスラムの進撃を食い止めます。
それでカロリング家の名声が高まり、一方でメロヴィング家が断絶したので、カール・マルテルさんの息子、ピピン3世がフランク王にてカロリング朝スタート。これが751年。
お返しにピピン3世は教皇に領地を寄進して、ローマ教皇領もこの頃始まります。
んで、ピピン3世の息子が有名なカール大帝。シャルルマーニュです。フランク王になっただけでなく、800年には教皇からローマ皇帝の戴冠を受けます。これで西ヨーロッパ世界が成立したと言われますね。
前世紀に絶好調だったウマイヤ朝ですが、8世紀の750年には早くもアッバース朝に倒されてしまいます。こちらはアラブ人中心のアラブ帝国からイスラム教徒中心のイスラム帝国に変わりました。
755年、唐では安禄山さんが反乱を起こします。安史の乱です。楊貴妃さんが亡くなった事件ですね。
9世紀、日本では摂関政治が始まります。藤原良房さんが人臣初の摂政となった時代。
ちょっと前のカール大帝のころ絶好調だったフランク王国ですが、9世紀には、ヴェルダン条約・メルセン条約によって、西フランク、東フランク、イタリアに分かれます。のちのフランスとドイツができたということです。
この後イギリスではアルフレッド大王がウェセックス王となり、ヴァイキング撃退に活躍します。イギリス史上唯一の「大王」です。
一方中国では唐が衰えて、894年には遣唐使廃止になりますね。菅原道真さんの時代。
次の10世紀、都では安和の変で藤原氏の他氏排斥が完了、地方では承平天慶の乱など、武士が力を見せ始める時代です。
10世紀はじめ、907年に唐は滅亡。その後は五代十国の分裂時代。960年に、趙匡胤さんが禅譲を受けて皇帝になり宋建国。前の後周の皇帝から帝位を譲られたということです。
ただ宋は文治主義を採ったので軍事的にはそれほど強くなく、10世紀はじめ北方にできた契丹人の遼に圧迫されます。まあ遼とは1004年に澶淵の盟を結んで、その後平和にやっていくんですけどね。
同じ10世紀、アッバース朝は形骸化。ブワイフ朝がバグダードを占領して力を持ちます。アッバース朝は形だけですが生き残っていくらか権威を保ちます。
かつてアッバース朝が支配した地中海南岸はファーティマ朝が支配するようになります。
ヨーロッパでは、東フランク王のオットー1世が、962年にローマ皇帝の戴冠を受けます。
ここから神聖ローマ帝国スタートと日本では教わりますが、ドイツでは800年のカール戴冠からと教わるそうです。
オットーさんが神聖ローマ皇帝になった少しあと、オットーさんの妹の息子、つまりオットーさんから見て甥っ子のユーグ・カペーさんが、カペー朝をつくります。ここで西フランクはフランス王国となります。
11世紀~15世紀:十字軍、モンゴル帝国、百年戦争、大航海時代
さて、前半藤原氏全盛、後半院政スタートと移り変わる11世紀。
オリエントではトゥグリル・ベクさんが1038年に建国したセルジューク朝が強いです。
セルジュークの圧迫されたということで東ローマがキリスト教世界に支援要請。それで1096年に第1回十字軍が始まります。
このころローマ教皇の力は強まっていて、ちょっと前の1077年には、破門を恐れて神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が教皇グレゴリウス7世に許しを請う、カノッサの屈辱という事件がありましたね。
イギリスでは1066年に、ノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服してノルマン朝をつくります。ノルマンコンクェストです。フランスからやって来たひとがイギリスで王朝をつくったんです。
12世紀。日本では平氏源氏の武家政権ができる時代。
中国では1115年、北方に女真族の金王朝ができて遼を倒し、遼と平和にやっていた北宋も圧迫、宋は1127年に南遷して南宋となります。
西のほうでは・・・
まずイギリス。ノルマン朝が後継問題で混乱して、その結果1154年にプランタジネット朝に変わります。
そのすこしあと、エジプトは1169年ファーティマ朝からアイユーブ朝に変わります。アイユーブ朝は、イスラムの英雄サラディンさんが立てた王朝です。
サラディンさんがだいたい、源頼朝さんと同時代。
さて次は13世紀、日本では承久の乱や元寇。
元寇があるくらいなので世界史的にはモンゴルの時代です。
テムジンさんが征服を進め、1206年にチンギス・ハーンとなってモンゴル帝国を建国します。
1241年にはワールシュタット(リーグニッツ)の戦いでヨーロッパ連合軍を破りますが、2代目オゴデイ・ハーンが亡くなったということでみんな帰っちゃいます。そうでなければヨーロッパは征服されていたかも。
ちなみにこれからいろいろ暴れることになるオスマン帝国も13世紀終わりにオスマン・ベイさんによって建国されました。
鎌倉幕府が滅亡し、南北朝の騒乱が続く14世紀。
お隣中国では、1368年に朱元璋さんによって明建国。元は北部に移動して北元となります。
ほぼおなじころ、1370年にティムール帝国が成立します。オスマン帝国さえ一時的に滅ぼしてしまうティムールさんの国です。
14世紀はヨーロッパも大変で、フランスでヴァロワ朝ができるんですが、イギリスのエドワード3世は「いや、自分こそ王位継承者だ」と主張し・・・
それがきっかけで、1339年から英仏百年戦争に突入します。
日本は南北朝、中央アジアでティムールさん大暴れ、ヨーロッパは百年戦争ということで、14世紀はあちこち大変でした。
15世紀。日本は1467年応仁の乱から戦国時代突入。
だいたい同じ頃、1453年、百年戦争はフランス勝利という形で終わりましたが、同じ年に長く続いていた東ローマ帝国がオスマン帝国によって滅ぼされました。
ちなみに百年戦争で活躍したジャンヌ・ダルクさんは、1431年に亡くなっています。満19歳でした。
15世紀後半は、モスクワ大公国がやっとこそモンゴルから独立。タタールのくびき終了。
それからイベリア半島ではアラゴンとカスティリャが合併してスペイン成立、1492年にレコンキスタ、国土回復運動完了。イベリア半島からイスラム勢力を追い出してしまいました。
1492年というとコロンブスがアメリカ大陸に到達した年ですね。この頃から大航海時代と呼ばれます。
マゼランさんは途中のフィリピンで亡くなったので、自身は世界一周できませんでした。
16世紀~19世紀:宗教改革と革命、独立と統一
16世紀。主に織田信長さん豊臣秀吉さんの時代ですね。
ヨーロッパでは1517年にマルティン・ルターさんが宗教改革を始めますが、これはヨーロッパの争いのもとになるだけでなく、カトリックの布教を通じて全世界が影響を受けます。
日本にも1549年にフランシスコ・ザビエルさんが来ましたね。
さてヨーロッパでは、モスクワ大公だったイヴァン4世が1547年にツァーリとなって、モスクワ大公国はロシアとなります。
そのイヴァン4世が求婚したのが、イングランドの女王エリザベス1世。テューダー朝の女王です。
絶対王政を確立、スペインの無敵艦隊にも1588年のアルマダの海戦で勝利しています。
当時は国としてはスペインのほうが遥かに強かったので、イギリス勝利にはみんなびっくらこいたわけですが、その全盛期スペインの王様がフェリペ2世です。フィリピンの名前のもとにもなったひと。
フェリペ2世はポルトガルも吸収してしまって、ポルトガルの植民地も我がものとします。
ちなみに、伊東マンショら天正遣欧使節もフェリペ2世に謁見していますね。
フェリペ2世が亡くなったのは、秀吉さんと同じ1598年で、秀吉さんの5日前です。
16世紀というとインドにはムガル帝国もできていますね。
17世紀。日本では江戸幕府ができて、徳川家康さん、家光さん、綱吉さんとかの時代です。
家康さんが征夷大将軍になった1603年は、エリザベス1世が亡くなった年です。
中国では1616年に女真族のヌルハチさんが後金を建国して、これが1636年に2代目ホンタイジさんによって清となります。民族名も満洲族に改めます。
ヨーロッパでは、1世紀前に宗教改革が始まっていますが、それが1618年には三十年戦争という最悪の宗教戦争を招いてしまいました。
三十年戦争の戦場はドイツなのですが、大陸と離れているイギリスでも宗教的対立が一因となって1642年から内戦が始まります。
そして、1649年にチャールズ1世が処刑されて、イギリスは共和政となります。クロムウェルさんが中心となって進めた清教徒革命です。
ところが1660年には王政復古。そして1688年にまた革命、名誉革命ですね。ジェームズ2世が亡命して終了、ほぼ無血革命だったということで名誉革命と呼ばれます。
ドイツとイギリスの間にあるフランスは、リシュリューさんマザランさんと有能な宰相が出て、太陽王ルイ14世の頃は絶好調です。
ロシアも1682年からピョートル1世がツァーリとなり、近代化を進めていきます。ピョートル1世はツァーリに加えて皇帝にも即位し、ここからロシアは「帝国」となります。
18世紀。日本は新井白石さん、徳川吉宗さん、田沼意次さん、松平定信さんの時代。
ヨーロッパではイギリスとフランスが、覇権をかけて植民地を巻き込み争います。英仏覇権戦争は以下のように続きます。
イギリスはこの争いを通じて、世界の覇権国になっていきますし、産業革命も始まって世界の工場となりますが、英仏とも負担が大きくて、イギリスからはアメリカ独立、フランスは革命につながっていきます。
フランスではこの革命の混乱の中から、ナポレオン・ボナパルトさんが頭角を現します。
そして19世紀。日本は開国から明治維新の時代。
ナポレオン・ボナパルトさんは1815年にセントヘレナ島へ送られます。
その後ヨーロッパはウィーン体制という反動的な国際体制がしばらく続きます。それに対してフランス中心に、1830年七月革命、1848年二月革命と続きます。
イギリスはヴィクトリア女王のもと黄金時代。
世界中に植民地を持って「太陽の沈まぬ帝国」となりました。1840年のアヘン戦争で清がイギリスにあっさり負けたので日本人は驚愕。
それから、イタリアは長らくバラバラでしたが、カヴールさんとガリバルディさんの活躍で1861年に統一。
ドイツもビスマルクさんの活躍で1871年に統一。
日本も同じ頃、明治維新政府ができ、奇跡的な近代化を経てヨーロッパ列強に追いつきます。