津留晃一さんのメッセージと死の意味、不安や恐怖は必要か

津留晃一さんという方がいて、影響を受けた人もたくさんいるのに、私はこのかたを知ったのは昨年のことでした。

スピリチュアル好きとしては不覚。(笑)

「人生はゲーム」がきっかけ

どうして知ったのかというと・・・「人生はゲーム」なんて言葉を調べているときに、偶然出会ってしまったわけです。

このページに。

人生はゲーム

津留晃一メッセージ集

それで私は、10年ちょっと前から「人生はゲーム」なんてことを思っていたわけですが、それ以前から同じようなことを言っている人はいたんだなと、ちょっと感動したわけですね。

10年前は津留晃一さんのことなんて、その存在すら知らなかったのですが、それでも同じような考え方に至ったということが嬉しかったと。

もっとも、10年前はすでに、津留晃一さんはこの世を去っていたわけですが・・・

人生はゲーム、ということについては、以前こんな記事も書きました。

人生はゲーム

「なんでもあり」は面白くない!?

人生はゲーム、ということについて、津留晃一さんはこう仰っています。

「もともと無限であった存在が「無」でい続けることに飽きてきて、制限を設け、地球人生ゲームを考案しました。無限が無限のままではゲームが成り立たないから、自らに制限を与えプレーが始まったのです。」

私たち人間は、もともとは「無限」の存在だったのですが(だったというか今もそうなのですが)・・・無限の存在と言われてもイメージできませんよね^^; まあ、思ったことはなんでも実現できる存在ということなんでしょう。

「なんでも実現できる」って、楽しそうって思ってしまうかもしれませんけど、それがずっと続くと「飽きて」しまうんですね。^^;

面白くない、と。

そうそう、「スタートレックヴォイジャー」にも「Q」と呼ばれる全知全能に近い存在が出ていましたね。

Qもやはり、同じようなことを言っていました。全知全能で永遠に生きつづけるのは苦痛であると・・・。

それで、Qの一人が望んだのは「死」でしたが・・・

でも我々はそうではありませんでした。

いろいろな制限をわざわざ設定して、「地球人生ゲーム」を作ったと。

Qは「死」を望みましたが、我々にとってはその「死」すら、自分で設定した、ゲームの中の「一イベント」でしかないということですね。

それはさておき。

「楽しむ」ために作った

無限の存在であることに「飽きて」きたので、「制限を設け、地球人生ゲームを考案」したということなんです。

だから当然これは、楽しむために作ったということです。

この世にはいろいろ不自由があるけど、それはゲームを楽しむためにわざわざ作った制限だということです。

津留晃一さんの「将棋のたとえ」がわかりやすいです。

「将棋では相手の王を取れば勝ちとなります。人は誰でも簡単に相手の王将の駒を指でつまみ上げることは出来ます。しかしその能力があるにも関わらず誰もその行為をしようとは思いません。歩は前に一つだけ進める。香は後ろには進めない。王は一つだけならどの方向にも動かす事が出来るなど、制限を設け、ゲームが成立します。王を取り合うゲームといっても、このルールという制限を与えなかったらゲームは成立しません。」

いきなり相手の王将の駒に手を伸ばして「王将取ったどー!」とか言ってみても、何も面白くありません。^^;

制限がなければゲームは成り立たない。つまり「不自由」だと思っていることも、楽しむために自分で設定した「ルール」ということになります。

苦しむためでなく、楽しむために作ったわけだから、楽しくないならいくらでもゲーム内容は改変可能だということになります。

でも多くの人はこう思うことでしょう。

「そんな、都合のいい話なんてあるわけが・・・」

それは無理もありません。もう長い間、「これが現実だ」と信じ続けてきたわけですから。

だから誰か、津留晃一さんの言ったことを実践して、人生を変えた人はいないものかと・・・探してみました。

実例となる人を探してみたところ…

そうしたらこんな方がいました。

古いシステムから卒業

こちらの方はなんと、公務員という安定した身分を投げ捨てて、津留晃一さんの教えに従ってみたそうです。

その結果どうなったか?

途中、貯金が3000円になったこともあったそうですが・・・

現在は好きなことを仕事にし、好きなときに働き、好きなときに休み、気が向いたら旅行に出かける・・・そんな生活が実現しているそうです。

1日の平均労働時間は4時間とのことですので・・・ブラック企業でサービス残業している人から見たら天国のような生活かもしれません。^^

「とは言っても・・・」

って、思いますよね。

「不安」「恐れ」への対処

やっぱり「不安」とか「恐れ」が出てくるでしょ、と。

自分が「実現できる」と納得したことはどんなことであれ実現できるんだと・・・信じたとしても。

やはり「不安」「恐れ」は出てくるものだと思います。そうして、現実がその「不安」「恐れ」の方に引っ張られてしまうんじゃないかと。

これはどうすればいいのかということですよね。

上記ブログの方はこれに対しては、津留晃一さんからこう教えられたそうです。

「目の前に集中して生きる。今この瞬間だけに生きる。」

で、具体的にはどうするのかというと、自分の意識を常に観察するようにします。

そうして、不安や怖れが起こったらそれに気づくことが大事だと。

気づいたあとはどうするのかというと・・・普通、

「そんな不安や怖れは消してしまいたい!」

と思いますよね。

でも、そんなことはしなくていいそうです。

気づいたら、それを変えようとしなくていい、ただ恐れに気づいたら、

「この恐れの源はなんですか?」

本気で問いかける。それだけ。そしてその問いに対する答えは要らないと。

気づいて問いかけるだけで、それが浄化の力となるとのこと。

それから。

「恐れ」に気づくことで前進する

「恐れ」が生まれると、「ああ、自分はなんて心が弱いんだ」などと、自分を責めてしまうこともあるんじゃないでしょうか。

でも実は「恐れ」があるのは、というかそれに気づくのは、「浄化の旅」が進んでいることなんだそうです。

だから恐れに気づいたら、「あ、これで一つ浄化できた」と喜ぶべきなんじゃないでしょうか。

そうしてあとは、上記ブログの方はこう決めたそうです。

宇宙を信頼する

「家も前年に建てたので、住宅ローンがあり子供も居るので、それに必要な収入は宇宙が用意してくれる、と決めました。その方法も、全て宇宙に要求するのです。必要なもの全てです。きっとそんなことが起きてくる、と不安を払い、信頼に持っていきます。」

宇宙を信頼する。

これは以前、「宇宙さん」に関する本でも読んだと思います。

借金2000万円を抱えた僕にドSの宇宙さんが教えてくれた超うまくいく口ぐせ

一見「悪いこと」のように見えても、それは宇宙が用意してくれた、願いの実現へ続くドラマティックな展開なんだと、信頼しようということでしたね。

この「宇宙」というのは人によって呼び方は様々でしょう。いつも「これが自分」だと思っている肉体を超えた、何か大いなる存在のことです。

ということで、恐れを感じても、その度に気づき、あとは宇宙を信頼して生きていけばよいということですね。

ただそれが、「何もしない」ことではないのは、上記「宇宙さん」の記事に書いたとおりです。

さて。

津留晃一批判について

津留晃一さんについてはどうしても言及しておかなければならないことがあります。

それは、

「津留晃一は早死にしたじゃないか」
「思いが実現できるなら長生きもできるはず」
「だから津留晃一はインチキ」

そんなことを言う人もいるということ。

これに対して私は、

「言っていることが真実かどうかと、その人の寿命とは全く関係ないでしょ」

と考えます。筋が通りません。

スピリチュアルな考え方からすれば、寿命というのは自分で決めてきます

やるべきことをやったら、さっさとこの世からオサラバする予定、という人もたくさんいることでしょう。

世の中、ゲーム好きばかりじゃないってことです。(笑)

なので、早く亡くなったからといって、「この人のスピリチュアル的発言はウソだ」ということにはなりません。