仏教でも苦行は無意味と言ってるけど…苦しむのは間違い?

「え? 待って待って、仏教っていえば苦行でしょ?」

なんて思った人もいるかも知れませんが、他でもないお釈迦様があらゆる苦行を試し尽くした果てに、

「苦行って意味ないね」

と結論づけてらっしゃいます。

にもかかわらず今でも、仏教界においてさえ苦行が行われることがあるのは、何か経験的な理由があるのでしょう。

専門家の方々が長年の経験的な蓄積に基づいてやっているわけだから、それはそれでいいと思います。

子供の頃から洗脳されている

問題なのは、専門家が苦行をしているからと言って、一般の人までも

「苦行はいいことなんだ」

と考えてしまうことです。

その上あろうことか子どもにまで

「苦しいのがまんしてよくがんばったね、えらいね」
「楽な方に逃げてばかりじゃろくなことにならないよ」

とか言って、「苦しむこと」を推奨してしまうのです。

その結果どうなるかと言うと・・・

職場がブラックであるにも関わらず、

「我慢できない私が悪いんだ」
「逃げちゃダメだ」

などと無理に無理を重ねて、鬱になったり病気になったり、果ては自殺してしまう人を生み出してしまいます。

その結果、暗い世界になっていく

日本は世界の中ではトップクラスに豊かな国であるにも関わらず、自殺者が多いというのは、そのことも一因となっていることでしょう。

真面目で優秀な人ほど、わざわざ苦しいところを選んで壊れていく、ということが起こってしまうんです。

そうして多くの人が

「何をどうやったって人生は苦しいもの」

と信じるようになれば、世の中の活気が失われて当然です。

「苦しみ」を現実化してしまう

スピリチュアル的にも、

「苦しみを乗り越えるのが良いこと」

なんて心の奥底で思っていると、次から次へと苦しみを現実化してしまうことでしょう。引き寄せというものです。

目の前の苦しみを乗り越えても、また別の苦しみを引き寄せてしまいます。

思い出してみてください。

苦しいのを我慢して頑張って・・・その後、幸せな人生になったでしょうか?

また別の「苦しい現実」がやってきたのではないでしょうか?

そうだとしたらこれまでの考え方が間違っていたんです。

だからもう、こんな考え方は改めるべきなんです。

「苦しいのを耐えて生きていくのは良いこと」

なんて馬鹿げた考え方は捨てる時なんです。

必要なときもあったでしょうが…

もちろん私たちは・・・

この肉体でいろいろな経験をしたくて、この世界に生まれてきました。

だから苦しいことや悲しいこと恐ろしいことを体験してみたい、というのはあったでしょう。

でももう、十分でしょ?

地球人類の歴史を振り返ってみれば・・・もうつらいこと悲しいこと恐ろしいことは十二分に体験したでしょ?

そしてそんなものは、「二度と体験したくないもの」だと、我が身の痛みを持って確かめたんですよね。

だからもう要らない。

苦しみ、悲しみ、恐怖・・・そんなものは金輪際見たくもない。

だからもう私たちはそのことに気づいて、もうそんなネガティブなことは体験しすぎるほど体験してしまったことに気づいて、考えを改めるべき時なんです。

それが今良く耳にする「地球レベルのアセンション」というものでしょう。

アセンションは単純

難しいことではなく単純なことなんです。

あなたの人生を振り返ってみてください。苦しみなんて・・・もう十分ですよね?

考え方を改めるだけ。

苦しみ信仰を捨てるだけ。

苦しみは良いこと
苦しみは間違い

逃げちゃダメだ
イヤなことからは全力で逃げろ

楽してちゃダメだ
楽こそ正しい

人生は甘くない
人生は遊びだ

こんなふうに変えるだけ。

なぜ「苦しみ信仰」が広まってしまったのか?

これにはいくつか理由があります。

  1. 人から「すごい」と思われたい
  2. 自分を納得させたい
  3. 都合の良い労働力を作りたい

主なものはこの3つでしょうか。

まず1つ目は、何か苦しいことを乗り越えると、人から「すごい」と思ってもらいやすいということです。

だからそれ自体に意味はないのにとんでもない「苦行」をしたりする人がいます。

24時間テレビの100キロマラソンとかそうですよね。それ自体意味はないし、体にも悪いことなんだけど、成し遂げると「すごい」と思ってもらえる。

やたらと「苦労自慢」をする人も、同じ考え方に基づいています。

それでいつしか、苦労自体は無意味どころか有害なものなのに、苦労を求めることになってしまいます。

2つ目の「自分を納得させたい」というのは、1つ目の視線を自分に向けたものです。

「私はこれほど苦しいことを乗り越えたのだから成功して当然だ」

あるいは

「これほど苦しいことを成し遂げたのだから、結果が悪くても仕方ない」

などと納得するためです。

そうして、ある目標を達成するために、無駄に苦しい方法を選択してしまったりするわけです。

これ実は「引き寄せの法則」にも関係しています。

引き寄せの法則って、複雑な方法から単純な方法まで様々です。

それで、複雑な方法を採用している人は、その複雑な方法を実行することで

「これだけやったのだから引き寄せは必ず達成される」

と信じることができるわけです。

単純な方法を採用している人は「これで十分」と信じているわけです。

つまり大事なのは方法ではなく「自分を納得させられるかどうか」ということになります。

「信ずるものは救われる」

とはそういうことです。

3つ目はわかりやすい話です。

「苦しいのを我慢して頑張るのが美徳」
「そこから逃げて楽をするのはダメなやつ」

と子供の頃から洗脳しておけば、ブラックな職場でも黙って働いてくれる労働力を量産することができます。

 

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引き寄せの法則とスピリチュアル思考