この世は幻想?真実はどこに?~非スピリチュアルとスピリチュアル

「この世は幻」なんて言葉、よく聞きますけど、これについて話す時、スピリチュアルな観点を入れて話す人と、スピリチュアルなこと無しで話す人がいるので、混乱してしまいます。

非スピリチュアルな観点での話

まずスピリチュアル抜きで話してみると、「この世は幻」というのは哲学の認識論のような話になっていきます。

つまり私たちは「物自体」を見ているつもりだけど実際は見ていません。見ることはできません。

たった5つの感覚から推測

私たちは世界を把握するのに、たった5つの感覚から得た情報を脳が総合して、

「世界ってこんなんじゃないかな?」

と想像しているだけですよね。

「世界そのもの」「物自体」を把握していると・・・日常生活では思っていますけど、落ち着いて考えてみますと「たった5つの感覚」で感じ取ったことを総合しているだけですよね?

つまり、感覚的に、私たちは幻想の中から出ることはできません

だいたい、「自分と他の人が同じように見ている」とどうやって証明できるんでしょう?

同じ赤い色を見ても、はたして、全員の脳内で同じ色に見えているのでしょうか? それは誰にもわからないことです。

また例えば、科学的な視点から眺めると、すべては素粒子、要するに「ちっちゃい粒」の集まりなんですよね。

あなたの体も、体の周りにある空気も。

だったらどうやって、自分の体と空気を区別できるんでしょう? 素粒子だけを見れば、どこまで空気でどこから自分の体なんでしょう・・・

そんな区別は私たちが「仮に」決めているに過ぎません。

さらに。

言葉による区分

私たちは、それぞれの物が確固として存在すると思っていますけど・・・机なら机、椅子なら椅子って、存在していると思っていますけど・・・

それって単に私たちがそのように名付けて区別しているだけですよね。

机も椅子もない国に暮らす人から見たら、ただの「木のかたまり」としか見えないでしょう。その人の世界には机や椅子は存在しません。

つまり言葉や習慣が違うだけでも、世界は違ったものに見えるというわけです。

人間のような言葉を持たないネコから見れば、世界はもっと別のものに見えることでしょう。
以上、感覚の点でも、言葉や習慣の点でも、普段私たちが思っているほど、世界は確固たるものではないことがわかりました。

次に。

スピリチュアルに考えるとどうなる?

スピリチュアルな観点からのお話。

根本的なことを言いますと、スピリチュアルな観点からすると、「幻想」と「現実」を区別する意味がありません

全てが現実とも言えるし、全てが幻想とも言えます。

それはなぜかというと、スピリチュアルな考え方からすれば「思いが現実化する」のが当然だからです。

私たちが「この世」において、現実と幻想を区別するのは、

幻想…あくまで心の中にしかないこと
現実…自分の外に存在してそれを確かめられるもの

と思っているからです。普通はそう思っていますよね。^^

でも、思ったことが目の前に現実として現れるとすれば・・・そしてそれを多くの人が確かめられるとすれば、もう幻だの現実だの言っても仕方ない、ということになります。

そうなるともう「幻想=現実」なので特に区別する必要もない、ということになります。

区別するとすれば「未実か、現実か」というくらいのものでしょう。未実と言うのは「まだ現実化していない思い」くらいの意味です。

スピリチュアルな話でよく

「この世は幻である」

と言われるのは、この世が思いによって作られているからです。

あの世こそ真実、ではない

じゃあ「あの世」こそ「本当にリアルな現実」なのかというと、そうは行きません。^^;

あの世だってたくさんあるわけだし、その全てが思いによって作られているでしょうから。

スピリチュアルに語るとしても、「あの世が真実でこの世は幻想」という理由はないわけです。どちらの世界も、というかどの世界も立場的には同等

どの世界も「思い」によって作られたのだとすればもうそれを、幻か現実か論じてみても意味はない、ということになります。

自分の好きな方に解釈しておけばOKということになります。生きるのが楽しくなるような解釈がおすすめです。

「全て幻か、虚しい、死のう」

というのはお勧めしません。(笑)

死んだってまたどこかに転生するだけだから。転生先がこの世界より楽しい世界とは限りませんよ?(笑)

「全て現実だけど、いくらでも作り変えることができるのよね~」

くらいの解釈が楽しいかもしれません。

「全て幻」パターンで行くにしても、

「どの世界も全て幻か~、じゃあ山積みのゲームを片っ端から楽しんでいくようなものだなぁ」

という解釈でなら楽しいかもしれません。

ゲーム好きな人ならわかると思いますが、ゲームの世界は「架空の世界」だと百も承知なのですけど、目一杯感情移入して本気で楽しむことができますよね。

あんな感じ。

たった一つ確かなもの

「幻と解釈してもいいし、現実と解釈してもいい」

となると、なんだか不安になる人もいるかもしれませんね。

「確かなものは何もないのか?」

と。

たった一つ、確かなものはありますよね。

「幻だろうか、現実だろうか…」

と考えているのは一体何者か・・・

そう、あなたの意識

この意識がなければ、幻か現実かなどという問題は出てきません。

こういう問題が出てくるということ、それ自体が「あなたの意識」の存在を証明しています。

世界が幻だろうが現実だろうが、あなたの意識が存在することに変わりはありません。

じゃあ他の人の意識は存在するのか?

これはおそらく、「一体感」「ワンネス」を体験すれば、わかることなのでしょう。

この世界の、ごく普通の現代人の感覚では、わからないものでしょうけど。