先祖供養と輪廻転生・生まれ変わりは矛盾する?

先祖供養と言いますと、日本では仏壇に向かって手を合わせたり、お墓参りをしたりということが思い浮かぶのではないでしょうか。

ご先祖様も転生しているはず

でも一方で、輪廻転生、生まれ変わりという考えもありまして、

「この世に転生してるならご先祖様はもう『あの世』にはいないんだから、供養しても仕方ないんじゃないの?」

と思う人もいることでしょう。

まあここでは「供養」のやり方についてあれこれ言い始めると混乱するので、単純に

供養=ご先祖様に感謝すること

としておきましょう。

で、ご先祖様はこの世に転生しているはずだから、意味が無いんじゃないか?という話ですよね。

先祖供養と輪廻転生は矛盾するんじゃないのかと。

これは別に、矛盾しないんです。

矛盾しない理由

なぜか?

「霊が肉体に宿る」

と聞くと、何かひとだまのような小さな光が肉体の中に入っていくさまを思い浮かべるかもしれません。

このようなイメージを持っていると、「先祖供養と輪廻転生は矛盾する」と思ってしまうのが普通でしょう。

でも、「霊が肉体に宿る」イメージとしては・・・

「魂のほうが肉体よりずっと大きい」

という方が正しいようです。

魂は小さい光などではなく、大きな光なんです。

だから肉体の中に完全に入ってしまうというイメージではなく、魂が自分の一部を肉体に入れて操っているというイメージ。

指にはめて遊ぶ「指人形」ってありますが、肉体はそういうイメージです。

「魂の本体」は「あの世」にいる

なので魂は、「あの世」と一般に呼ばれているスピリチュアルな世界に存在しつつ、「この世」の肉体で今生を経験しているわけですね。

つまり私たちの本質である魂は、「あの世」と「この世」に同時に存在しています。

ただ、魂の中でも肉体に入っている部分は、肉体によって知覚を制限されていますので、魂本体の存在を「顕在意識的には」認識することができません。

ということですので。

いわば「魂の本体」は肉体の「外」に存在しているということです。

だから現在、ご先祖様の魂がこの世に転生して、いずれかの人間として生きているとしても、あの世に存在するご先祖様の魂の「本体」に感謝することは、別に無意味なことではないんです。

先祖の肉体に宿ってくれたくらいなのだから、きっと自分と深い関係がある魂です。「ソウルメイト」と言って良いでしょう。

そのソウルメイトに対して「いつもありがとう」と述べるのは、無意味であるはずがありません。

魂の本体=ハイヤーセルフ

ちなみに。

「魂の本体」と書きましたが、これが「ハイヤーセルフ」と呼ばれるものです。

もちろん、ご先祖様の魂の本体=ハイヤーセルフだけでなく、あなたのハイヤーセルフもスピリチュアルな世界にいますので、ハイヤーセルフのレベルでは、いつも感謝しあっているものと思われます。^^

そしてそういうスピリチュアルなレベルでは、いかにも人間的な「上下関係」というものはありません

だから「ご先祖様のほうが自分より偉い」という考え方は存在せず、ただ常に助け合っている、親友のような関係なのでしょう。

 

仏教
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