信念体系領域が地獄とは限らない話

信念体系領域というのはヘミシンクで出てくる言葉です。

ヘミシンクではいわゆる「あの世」をいくつもの階層に分けて整理しているのですけど、その中に「信念体系領域」というのがあります。

同じような信念を持つ人が集まると…

その信念体系領域というのはどういう場所かというと、同じような信念を持っている人が集まって、いろいろな世界を作っている場所です。

たとえば、「人生は戦いである」なんて信念を持っている人・・・というか魂が集まると、そこには「戦いばかりしているような世界」ができてしまいます。

まあ仏教で言う「修羅界」とか、北欧神話に出てくる「ヴァルハラ」みたいな世界ですね。

それだけじゃなくて、集まる魂の「信念」に応じて、多様な世界が「信念体系領域」には作られます。

「最低」の世界ばかり信じている魂が集まれば、そこには地獄のような世界ができることもあるでしょう。

悪い世界ばかりではない

ただ、信念体系領域にできるのは、そういう「地獄のような」世界ばかりとは限りません。

まさに「天国」のような世界も作られ得る、ということです。

たとえば、特定の新興宗教に熱心な信者がたくさん集まっている場合、その新興宗教が想定する「天国」のような世界がそこに作られるということ。

そうなるとその新興宗教の教えもあながち「嘘」ではなくなりますね。^^

ヘミシンクではこの「信念体系領域」を問題視して、そこにとらわれている人たちを助け出そうとします。

まあ個人的には、修羅界とか地獄のような大変な世界からは助けてあげればいいと思うのですけど、特定の宗教の「天国」にいるような人たちは、好きなだけいさせてあげればいいじゃないかな・・・なんて思います。^^;

だってその人にとって良い場所であることに違いはないでしょうから。

それで問題なのは。

今住んでいるこの世界も…

私たちが住んでいるこの星ですね。地球。

この地球まるごと「信念体系領域」と化しているのではないかということです。

そう感じないでしょうか? この世界には理不尽なことが多すぎると。

それは私たちの信念が、この世界をこういう世界にしてしまったのではないかということ。

そしてこれは、地球人にとっての「あの世」まで、その信念に対応するものにしてしまいます。

たとえば。

「カルマ」の記事で書いたことですけど・・・

なぜカルマ=罪と思う人が多くなったのか?~「引き寄せ」を失敗させるもの

「罪と罰」に埋め尽くされた世界観ですね。

こういう考え方が「あの世」まで影響を与えると・・・

私たちはちょっとしたことでも罪に問われ、その罪滅ぼしをするためにこの人生を生き、さらに罪を償うために強制的に「苦しい環境」に転生する、ということを繰り返すことになります。

つまり、「罪と罰」という考えに埋め尽くされた「間違った輪廻転生」にとらわれてしまっている、ということ。

そういう信念にとらわれている限り、その人は何度生まれ変わっても苦しい人生を強いられることになります。

解脱は難しくない

思えば・・・

仏教で「輪廻から解脱しなさい」と教えられるのは、この「間違った輪廻転生」から抜け出すべし、ということなのかもしれません。

本来の私たちは・・・

自由。

何を強制されることもありません。

何かに生まれ変わってもいいし、生まれ変わらなくてもいいし、どの世界を選ぶのも自由。

とらわれるのでなければ信念体系領域に生まれてみることだってできます。

どこに行くのも自由、行かないのも自由。

このことに気づかなければ、いつまでたっても「罪と罰」の世界に囚われ続け、苦しみの人生を繰り返すことになるのでしょう。

じゃあどうすればいいのか?

それは簡単です。

以上のことを知ってしまえばいいだけ・・・というか、本来の自分を思い出せばいいだけです。