人生の目的は魂の修行?~苦労の多い人生をスピリチュアルに考えると…

スポンサーリンク

スピリチュアルでは「人生は魂の修行である」とする考え方もあります。というか一昔前はそういう考え方がスピリチュアルでは普通だったような気もします。

おそらく「苦労信仰」のあった日本人の考え方にも合致していたからでしょう。

「人生は修行」観は減ってきた

でも最近は、そういう考え方を採用する人は減りつつあるようです。

おそらくこれは、

「つらいこと苦しいこと悲しいこと怖いことの体験なんて、もうこれくらいでいいでしょ」
「もう十分すぎるほど体験したでしょ」
「そろそろやめましょうよ」

という魂の叫びが増えてきた結果なんじゃないかと・・・

それはさておき。

「人生は修行」は嘘なの?

じゃあなぜ今でも「人生は魂の修行」と言う考え方があるのかということですね。それって嘘なの?と言う話。

嘘ではありません。

どういうことかというと、人生を「修業の場」とするかどうかは、それぞれが自由に選べるということです。

最近はスピリチュアル的には・・・たとえるなら「人生はゲーム」と考える人が多いです。

ゲームと言ってもアクションゲームではなくMMORPGですね。多人数が同時に参加して、いろいろなキャラを演じるゲーム。

この世界における私たちは、地球というゲームの舞台を用意して、それぞれのキャラを楽しんでいるというわけです。

ただこの世界では、私たちはキャラであると同時に、ゲームの開発者でもあります。

だから、ゲームのルールやシステムを、好きなように作ることができます。

となるとやっぱり、「修行」が好きな人は、ゲームのシステムに修行を組み込むことにするでしょう。

経験値を稼いでレベルアップしていくゲームですね。そういうゲームが好きな人も多いはずです。

そうして、そういうゲームが好きな人の中にも、「高難度コンテンツ」が好きな人もいれば、楽にレベルアップするのがいいという人もいます。

「高難度コンテンツ」が好きな人は、この人生に、多くの試練を用意して、それを乗り越えることでレベルアップを楽しむというわけです。

そういう人の人生は「苦労の多い人生」「辛いことばかり起こる人生」となります。

マゾゲーはイヤ!

一方、そんな難しいゲームに疲れちゃう人もいます。そういう人は「もっと気軽に思い通りに楽しめるゲームがいいよ」と考えて、そういうゲームを作ります。

面白いことに、「現実」でもそういうことってありますよね。まあ作るまではしませんけど。

MMOで高難度のコンテンツに疲れてしまって「もうまったり楽しみたいよ」となること。

「なんでゲームで疲れなきゃいけないんだよ、そんなマゾゲーもうまっぴらだよ」と。

で、「現実」のゲームとは違って、この世界のこの人生というゲームでは、私たちはキャラであると同時に開発者でもあるので、自由に作り変えることができるというわけ。

それで。

そろそろ本来の姿を思い出そう

スピリチュアルな考え方が、

「人生は修行の場」

から

「人生は楽しむ場」

というふうに変わってきたのは、最初に言ったように、私たちはあまりにも高難度コンテンツばかりやりすぎて、傷ついてしまったということなんでしょう。

しかもこのゲーム、「開発者」であることを忘れて、「キャラ」になりきって続けてきたわけです。そりゃダメージも受けちゃいますよ。

最近数千年を振り返ってみると、戦争を筆頭に地球上ではあまりにひどいことが多すぎました。

「そんなゲーム、もうやめようよ」

と言いたくもなるでしょう。

「現実」のゲームでも残酷描写の多いゲームばかりやってると、精神に悪影響を及ぼしてくるものです。

それと同じで、あまりにも長く「つらい悲しい苦しい怖い」ゲームばかり・・・しかもキャラになりきってやっていると、「魂」に悪影響が出てくると。

いや、すでに出てきたと。

だからもうやめようと。そろそろ本来の姿に戻ろうと。

だから最近は「アセンション」と言う言葉をよく聞くようになったのでしょう。

アセンションというのは難しいことではなく、「本来の自分を思い出そうよ」ということですから。

「ゲーム自体やめる」考え方もある

ちなみに。

「ゲーム自体やめようよ」

という考え方もあります。

その場合はもう、あれこれゲームをやること自体をやめてしまいます。

「解脱」

というやつです。

もうどんなゲーム=人生にも転生しないということです。

ゲームなんかやったって疲れるだけだし虚しいしやめてしまえという考え方。

これはこれで、そういう考え方を採用する人がいてもいいんです。

ただ個人的には、一時的にそういう考え方になることもあるけど、いつかまたゲームをやりたくなってしまうんじゃないかとも思います。

「そんなこっちゃ解脱したとは言えないよ」

と言われてしまいそうですが。(笑)