スピリチュアル的には「思考は現実化する」のは当然のことだし、引き寄せもできて当たり前なのに、
「なぜ私は毎日こんなに苦しいの?不安なの?」
という人も多いはず。
おかしいじゃないか!と。
でもこれには理由があります。
人が苦しむ理由
それはですね・・・
「ほとんどの人が自分の無限の能力を忘れたところから人生を始めるから」
です。
なぜそんなことをするのかというと
「自分の素晴らしさをはっきりと認識するため」
です。
最初からなんでも可能だと「それが普通」になって感動がありませんよね。
ところが人生の途中まで
「自分には能力がない」
「人生は苦しみの連続だ」
と思っていたものが、何かの拍子に
「ああ、実はなんでもできるんだ!」
「いつも大丈夫なんだ!」
「安心していいんだ!」
とわかると、それはそれは感動するんじゃないでしょうか。嬉しくて泣いてしまうんじゃないでしょうか。
ということで最初は自分の能力をほとんど忘れた上で始める人が多いと。
生まれたばかりのころは憶えていることが多い
でも生まれたばかりの頃は・・・結構おぼえている人も多いんです。
将来のことを色々と考えて不安になっている赤ちゃんなんていませんし。(笑)周囲を信頼しきって任せきっています。
「何もしなくても全て与えられる」ということがわかっています。自分からそうは言わないけど。(笑)
まさに
「自分は絶対大丈夫」
とわかっている状態です。
小さい子が前世の記憶を持っていたり、スピリチュアルな真理を語ったりすることもあるし、肉体を持たない存在が見えたりすることもある。
そういうのはまだ、自分の本質をなんとなく憶えているからです。
でも忘れてしまう
でも、この世で暮らしていくうち、そういうことは綺麗サッパリ忘れてしまう人がほとんどです。
そうして、自分の全知全能性を忘れて、しばらくこの世で生きていくことになります。
思考が現実化することも、引き寄せが普通にできることも、忘れてしまってずっと生きていくことになります。
そうなると・・・私達の本質は「神的」で完全であるのに、そのことを忘れてしまって生きるのだから、いろいろと苦しまねばならない、ということになります。
それで、そのことに、人生の途中で気づいて、自分の本質を思い出せば、上記のごとく「感動」が味わえるのですが・・・
これが・・・今に限ったことなのか、それとも昔からなのか、なかなか思い出せないという人が多いようで・・・
まあおそらく、昔は思い出す人が大半だったのでしょう。
完全には思い出せなくとも、「何か守られている感じがする」くらいは。
苦しみの洗脳
ところが現在は・・・特に日本の場合は、教育によって、そういうものは完全否定し、さらに追い打ちをかけるように
「苦しい思いをせねばいい思いはできない」
と繰り返し洗脳されます。
「スピリチュアルなんてバカが信じる妄想」
と刷り込まれ、
「苦しい修行に耐え抜いてこそいい思いができる」
と刷り込まれ・・・
結局死ぬまで苦しさに耐え続けることになります。
苦しみを乗り越えて幸せをつかむどころか・・・次の苦しみに取り掛かることになります。それを死ぬまで繰り返す・・・
「そんなのあんまりじゃないか!」
ということで、やっと最近はまた、スピリチュアルなことが見直されてきた、ということなのでしょう。
思い出そう!
あなたはこれまでさんざん、苦しい思い、不安な思い、悲しい思いをしてきたのではないでしょうか。
でももういいんです。「神的ではない」人生はもう、十分体験したことと思います。もう十分。
だからそろそろ本来の自分を思い出してください。
私達はみんな、神仏とでも呼ぶべき何か偉大な存在から分かれて生まれてきたんです。
だから私達の本質は神仏と同じなんです。
だからあなたは、存在しているというだけで、愛される価値があるし現に愛されてもいます。
手に入れたいと思ったものはなんでも手には入ります。なりたいと思ったものはなんでもなれます。
必要なものは全て自然に手に入るので、「生活できるんだろうか」なんて不安は要りません。好きなことをやって暮らしていけばいいんです。
絶対的に安全な存在です。
それを思い出してください。
私たちは何のために生まれてきたのか?
泣くためじゃありません。
苦しむためでもありません。
楽しむためです。愛を体験するためです。そして感動を味わうためです。