スピリチュアルな「真理」と言われることには、お互い矛盾しているようにみえることが・・・結構あるな、なんて思いませんか?
「あんなにお互い矛盾したことを真理だと主張して、全部ウソに違いない」
なんて思ってしまう人もいるかもしれません。
でも、矛盾しているのは仕方のないことなんです。
それがなぜなのかを今回は説明していきます。
スピリチュアルな真理と主張されることが、時として矛盾してしまう、
「あの人とこの人、言ってることがぜんぜん違うじゃないか!」
となることがある理由としては、以下のようなことがあります。
・中には嘘つきもいる(人間であろうとなかろうと)
・スピリチュアルな世界は「この世」よりはるかに広い
・受け取る側に合わせた「真理」が伝えられる
この3つが主な理由となるでしょう。
それぞれ説明していきます。
中には嘘つきもいる(人間であろうとなかろうと)
これに関しては、「中には嘘をついている人間もいる」というのはわかりやすいと思います。
スピリチュアルな真理なんてまったく信じていないのに、それを利用して人からお金を取ろうとしているとかですね。
お金を取ること自体は悪くないんですけど、騙して取るというのはダメですよね。
で、ウソを付くのは何も、人間だけとは限らないんです。
人間以外の・・・まあ、霊的存在とでも言っておきましょうか、その霊的存在も、嘘を言うやつだってけっこういるんです。(笑
悪意からか、それとも楽しみからか、まあいろいろな理由があるでしょうけど。
だから昔は「審神者(さにわ)」といって、たとえば降霊をしたときに、その霊がいかなるものか判定する人が重要視されていたんです。
今はそんなに注目されていないかもしれませんが・・・。
ということで。
人間であろうとなかろうと、「嘘つき」はいますのでスピリチュアルな「真理」と主張されることがお互い食い違っていてもおかしくはありません。
スピリチュアルな世界は「この世」よりはるかに広い
これはどういうことかというと・・・
イメージとしては、広大な「スピリチュアル世界」の中に無数の「宇宙」があり、その中の一つとして私たちが住む「この宇宙=この世」があるという感じ。
またその「広大なスピリチュアル世界」をたくさん包摂している、さらに大きな世界もあると考えられます。
上を想定していくと限りがない。
そんな、無数の宇宙の中には私たちの住む宇宙そっくりの宇宙もあるでしょうし、まったく理解もできないような霊的宇宙、神的宇宙もあることでしょう。
そして。
私たちが住む「この宇宙」でさえこんなに広くて、宇宙のすべてを知るなんてことはまったくできていないわけです。
となると、スピリチュアルな存在も、いろいろな考えを持つ人がいて当然なんですよね。
想像もつかないほど広い世界すべてに通用するような絶対的な真理を・・・スピリチュアルな存在でありさえすれば全員が知ってる、なんてことはありえない。
そりゃ私たちよりは進んでいるかもしれませんが、お互い食い違うことを主張する存在がいろいろいたって、不思議でもなんでもありません。
そういう存在がそれぞれバラバラに、
「これこそ霊的真理である」
と、私たちの世界の霊能者に伝えたとしたら・・・霊能者同士で食い違う「霊的真理」を主張することになるでしょう。
受け取る側に合わせた「真理」が伝えられる
これは人間から人間にスピリチュアルな知識を伝える場合でも、なにか霊的な存在から人間に伝える場合でもあり得ることです。
相手に合わせて、その相手が最も理解実践しやすいように真理を説く、ということですね。
その場合、目指すところが同じであっても、説かれている内容は互いに食い違っていることがあります。
たとえばお釈迦様が説いたと言われる内容であっても、
「あっちとこっちで違うことを仰ってるじゃないか!」
ということはありますが、それは相手に合わせて、目の前にいる相手に最もふさわしい形で、教えを説いてくださっているからです。
「対機説法」といいますね。
だから観音経を読んでも、観音様は相手に合わせてあらゆる姿に変身して教えを説く、と書かれているわけです。
ということで、
「あの人が知ったことと、私が受け取ったこと、矛盾してるんだけど」
ということがあってもおかしくないんです。
ただその場合でも、より高い視点から考えてみれば矛盾していないということが多いんですけどね。^^
さて。
本当にあるのか?
「矛盾」「食い違い」については以上の説明で理解できるとしても、それが
「スピリチュアルな世界が本当にあることの証明にはなっていないんじゃないか」
と思う人もいることと思います。
もちろんスピリチュアルな世界なんて、その存在を科学的に証明できるものではありません。
ただ「存在しない」ことを科学的に証明することもできない。
そうなると、いろいろな「状況証拠」から考えてみるしかないということになります。
そんな状況証拠としては、生まれ変わり、転生に関する研究とか、臨死体験に関する研究などが非常に参考になることでしょう。
私の結論としては、そういうたくさんの状況証拠を見る限り、スピリチュアルな何かが存在することは、信じざるを得ないということになりました。
「存在しない」ことにするには、非常に強引な、無理のある説明をしなければならないからです。
それよりも、「存在する」と解釈したほうがすんなりと納得できるということです。
「どうしても信じられない」場合
「いやそれでも信じられない」
という人は、信じる必要がないということなのかもしれません。
スピリチュアル的に考えればそういう人は自ら「信じない人生」を「設定」しているということになります。
「この人生」ではスピリチュアルなことはまったく信じないで一生過ごしてみよう、と決めているということ。
だからそういう場合は信じないほうが人生の目的は達しやすいのかもしれません。
ただ「信じないと決めている」といっても、それがどの程度強固かは人によって違うでしょうから、今は信じられなくても何かのきっかけで簡単に変わってしまうこともあります。
要するに・・・何が言いたいのかというと、どっちを信じるにしろ、無理に信じる必要はないということです。^^
最初からすんなり信じてしまう人、人生の途中で劇的に変わる人、死ぬまで信じない人・・・どの人の生き方も間違っていません。
その人にとってはそれがいい、それだけのことです。