「またまた、縁起でもない」
と思うかもしれませんけど、そう思うということは、「死神」について誤った認識をしているということかもしれません。
まあ今日もまた、変な話をしますけど。(笑)
信じられない人あは「ファンタジー」だと思って聞いてください。
間違った「死神」イメージ
誤った認識というのはですね~、あの、よくある死神イメージ。
ローブに身を包んで、大鎌を持っている・・・
というやつですね。
それで人を殺してしまう、不吉で、不気味で、怖くて、人間から見ると「悪者」というイメージ。
これが間違っているんです。
最近ではあれですねぇ・・・いやもう「最近」じゃないかもしれないけど。^^;
「デスノート」の死神イメージ。あれの影響もありそうですね。
でも違うんです。
斎藤一人さんいわく
斎藤一人さんによると、こういう、「人の命を奪う悪いやつ」というイメージは、「死神」ではなく、妖怪とか妖魔とか、そういうものの類を思い浮かべてるとのこと。
じゃあ本当の「死神」というのはどういう存在かというと・・・死「神」というくらいなので、神様なんですね。
しかも、私たちのこの人生のゴール地点で、迎えに来てくれる、一つの人生の最後に現われる神様なんです。
もちろんそれは、悪者ではないし、怖い存在でもありません。
約束通り来てくれる
だってわざわざね。(笑)
私たちがこっちの世界からあっちの世界に引っ越す時に、いろいろ迷ったら困るだろうからっていうんで、迎えに来てくれるんですよ?
まあそれもやはり、前もって私と約束していたから、来てくれるんですよね。私と関係ある、何らかの存在が。
「◯◯年◯月◯日に死ぬ予定だから~、ちゃんと迎えに来てね~」
「さすがにあっちからこっちに引っ越すときって混乱するから」
「おねがいね~」
ってなものです。(笑)
だからその姿も、私が安心するような姿をしてくれているはずなんです。
こんな話があります。
死神とお婆さんの話
ある年老いた女性、身寄りもなく一人で暮らしていたのですが、
「一人でこの先どうなるんだろう・・・」
という不安がたえない日々を送っていました。
中でも死神が怖くて怖くて、死ぬのが怖くて怖くて・・・
それで、まじない師に頼んで、「死神が入ってこられない御札」を作ってもらって、自宅の入口になりそうなところ全部に貼り付けて、毎日ビクビク暮らしていたそうです。
いつ死神が来るんじゃないか、玄関の扉を叩くんじゃないかと、それはもう、毎日生きた心地がしませんでした。
そんなある日。
玄関の扉を叩く音が聞こえました。
女性は心臓が止まりそうになりましたが、覗き穴から息を殺しつつ、外を確認しました。
そうすると、そこに立っていたのは死神ではなく、すごく感じの良い若者でした。昔、戦で死んでしまった息子を重ねてしまうほどでした。
その若者が、長旅で疲れているけど、どこも泊まる場所がないので一晩だけ泊めてほしいといいます。
女性は若者のことを、まったく怪しいとも思えなかったし、むしろ息子のような感覚を持ってしまったので、家の中に通しました。
若者はお腹をすかせているようだったので、女性は、自分が食べるにも困っていたのに、精一杯のおもてなしをしました。
若者は感謝しつつそれを食べ、二人はしばらく楽しい時間を過ごしました。
女性は、遠い昔、まだ夫も息子も元気だった頃の一家団欒を思い出し・・・思わず涙ぐんでしまいました。
その様子を見て、若者は言いました。
「ねえ、おばあさん、今まで一人で、いろいろつらかったでしょう・・・。でももう、つらい思いはしなくていいんですよ。もう十分なんです。僕と一緒に行きましょう・・・これからはもう、寂しい思いも、不安な思いもしなくていいんです・・・永遠に幸せでいられる所に・・・」
そうして若者は女性の隣に座り、そっと手を取りました。女性は抗うでもなく、そのまま若者の胸に包まれて、眠るように旅立ちました・・・
という話。
人生の最後を飾ってくれる素敵な神様
この若者が「死神」というわけです。
そしてもちろん、人によって、どんな「死神」は来てくれるかは違います。
もちろんその人にとって、最も安心できる姿でやってきてくれます。
死神というのは一つの人生の最後に、あなたを気遣ってきてくれる素敵な神様なんです。
思えば・・・
仏教の「阿弥陀如来」だって、死に際に迎えに来てくださって、極楽に導いてくださるありがたい存在です。
つまり阿弥陀如来だって「死神」だということもできます。
だからといって阿弥陀如来を「不吉な」「恐ろしい」存在という人はいません。
だから多くの人が持つ死神イメージは間違っているんです。
これからは死神と言うときには、人生の最後を飾ってくれる、この上なく素敵な神様をイメージすることにしましょう。(笑)