まずそれぞれの読み方を書いておきましょう。
世間虚仮(せけんこけ)
空観(くうかん、くうがん)
仮観(けかん、けがん)
中観(ちゅうかん、ちゅうがん)
一心三観(いっしんさんかん、いっしんさんがん)
それぞれの意味を簡単に言うと
次にそれぞれの意味を簡単に説明しましょう。
世間虚仮
「世間虚仮」は聖徳太子の言葉と言われますが、「この世は仮のものだよ」という意味です。まあ「この世は幻」みたいなものですね。
この世は幻想?真実はどこに?~非スピリチュアルとスピリチュアル
空観
「空観」は世間虚仮と似たような見方ですが、「無常」というところにより重点があります。すべてのものは絶えず変わっていっているということ。
今見えているものは仮のもので、実体などなく、どんどん変わっていくのですよ、ということ。
仮観
「仮観」は空観と見方的には同じなのですが、解釈が積極的です。つまり「仮のものであってもちゃんと存在していて意味があるんですよ」という見方。
中観
「中観」というのは空観にも仮観にも偏ることなく、2つの見方の中庸を取っていきましょうということ。
一心三観と中観の違い
じゃあ「一心三観」は? ということになりますね。
「ブリタニカ国際大百科事典」によると
「天台宗の瞑想法の一つ。あらゆる事象が相対を超えた仏教の絶対的真理にかなっていることを体得すること。現象世界を否定的にあつかう空観 (くうがん)、肯定的にとらえる仮観 (けがん)、この両者がともにそなわってはじめて真理を把握しうるとする中観 (ちゅうがん) の三観を、ひと思いに一時に観念すること。」
とのことですが・・・
これだと「中観だけでいいじゃない」という気がしてきそうですがそうではありません。
中観だけだと
「偏るのはよくない」
みたいな感じになりますが、「一心三観」だと
「どの見方も正しいから、すべての見方を同時にできるように」
ということになります。
一心三観=「人生はゲーム」観
以上のことをスピリチュアル的に理解するなら・・・
「人生はゲーム」観で理解すると、すごくわかりやすいです。
一心三観=「人生はゲーム」観
・・・いや、イコールになるのかどうかはわかりませんが、だいたいのところは掴めそうです。^^
一つだけだと…
空観だけだと、ゲームなんて所詮作り物だからやっても仕方ない、やらない、ということになります。
仮観だけだと、「ゲームが全て!」(笑)になってしまって、「自分のキャラがボスキャラに負けた」というだけでものすごいショックを受けてしまいそうです。
中観だけだと、暇つぶし的にゲームを楽しむことはできますが、ゲームの本当の楽しさを知るのは難しそうです。
3モードを使いこなす
そこで「一心三観」。
空観、仮観、中観すべて発動OKの状態で心にセットします。
そうすると・・・
ときには仮観を発動させて、思いっきりゲームに熱中してしまうこともできるでしょう。
ときには空観モードになって完全休養ということもできるでしょう。
中観モードで何かの片手間にまったりのんびりゲームをすることもできますね。
また、仮観を発動させつつ空観も忘れないでいれば、ゲームに熱中はするけど、ゲーム上の失敗で落ち込んだりすることはないでしょう。だってゲームなんだから。
そうして、ゲームの楽しみを100%味わいつつも、ゲームによって自分が疲弊してしまうことはありません。
人生=ゲームとすると…
スピリチュアルな考え方をするなら、このゲームのように、人生を考えることができます。
ただこと「人生」の場合、「仮観モードしかない」人が大半なのではないでしょうか。
つまり、世界は「この世界」しかなく、「この肉体」こそが自分で、肉体が滅べば自分は消えてしまう、という考え方。
人生というゲームを「実体」だと思っているパターン。
仮観モードだけだと、とかく人生はつらいものになりがちです。
一時的にはうまくいくこともあるでしょうけど、最終的には「死」という約束された絶望が待っています。
逆に「空観モードしかない」という人はほとんどいないでしょう。さすがにそれだと始終瞑想して暮らすか、悪くすると自殺することになるかもしれません。
中観モードしかない人は、普通に生きていくことはできるでしょうが、思いっきり何かに情熱を燃やすことはなさそうです。
一心三観であれば、必要に応じて色々なモードを発動させたり組み合わせたりでき、人生というゲームを、疲弊することなく味わい尽くすことができるのではないでしょうか。
あなたはプレイヤー兼作り手
でももう一つ、大事な点があります。
それは、人生というゲームは、自分がプレイヤーであるとともに作り手でもあるということです。
そういうケースは、パソコンやスマートフォンのゲームでは稀でしょうけど、人生というゲームでは全員がそうなっています。
つまり、このゲームが気に入らなければ、好きな様に作り変えることができるということ。
自分というキャラの能力も変えることができるし、キャラを取り巻く環境も変えることができるし、ストーリーを変えることもできるし、難易度を変えることもできるし、ゲームのルール自体を変えてしまうこともできる。
パソコンなどのゲームでは、ゲームがつまらなければ「やーめた」という選択しかできませんが・・・
人生というゲームでは、「自分にとって面白いように作り変えよう」という選択もできるわけです。
その仕組みが「思考の現実化」「引き寄せの法則」と呼ばれたりするのでしょう。