法句経・・・「ほっくきょう」と読みます。
法句経とは
名前のとおりお経なのですけど、仏教のお経の中でも「最古のもの」と言われています。
そして、何も付け加えたり削ったりせず、お釈迦様(釈尊、ゴータマ・シッダールタ)の言葉をそのまま記録したもの、とも言われています。
それで「お釈迦様の言葉だ」ということで重視する人も多いのですが・・・今回はその法句経の最初の言葉に注目してみます。
これがですね、「引き寄せの法則」とか「思考は現実化する」といったこと、それから「神との対話」で書かれていることと・・・矛盾しないんです。
法句経第一章最初の言葉
次のような言葉です。
意(おもい)は諸法(すべて)にさき立ち
諸法(すべて)は意(おもい)に成る
意(おもい)こそは諸法(すべて)を統(す)ぶ
意=思いが「すべてに先立つ」ということなんです。
そして「すべて」は「思い」によって「成る」と説かれているんです。
思いが変わる→見え方が変わる
これをまず、穏当に解釈すると、「思い」つまり心の中身が変われば、すべてのものの「見え方」が変わり、身の回りの環境が「変わって」見える、と理解できます。
見え方が変わることで世界がそれまでと違って見えるということ。あくまで違って「見える」だけだという解釈。
思いが変わる→行動が変わる
ここからさらに進んで・・・違って「見える」だけでなく、「思い」が変わることで自分の行動も変わるから、身の回りの環境の方も実際に変わるんだ、という解釈もできます。
これは世界が違って「見える」だけでなく、行動を通じて実際に違ったものに「なる」ということ。
たとえば・・・
ポジティブな考え方をするようになった(思い)
→いろいろ積極的にチャレンジするようになった(行動)
→良い結婚ができた(環境)
ということです。
思いが変わる→世界が変わる
さらに進むと・・・「思考は現実化する」「引き寄せの法則」ということになります。
自分の「思い」が変わって「行動」が変わることにより環境が変わるだけでなく・・・「思い」がダイレクトに環境や世界を変えるということ。
つまり個人の行動だけでは到底不可能に見える変化も「思い」の力によって可能となるということです。
たとえば・・・
いつも豊かな気分で過ごすようにした
→偶然が重なって収入が増えた
などですね。
「すべては思いに成る」の3レベル
3つのレベルをまとめると次のようになります。
①思い→見え方→世界
②思い→行動→世界
③思い→世界
さてここで、法句経の最初の言葉を見ますと・・・
意(おもい)は諸法(すべて)にさき立ち
諸法(すべて)は意(おもい)に成る
意(おもい)こそは諸法(すべて)を統(す)ぶ
思いがすべてに先立つ、というのは①②③どの段階にも当てはまりますね。
それに加えて「すべては思いに成る」、「すべて」が思いによって「成る」というわけです。
さらに「意(おもい)こそは諸法(すべて)を統(す)ぶ」、つまり、思いが「すべて」を支配するとおっしゃっているんです。
すべて。
「すべて」ですから、思いによって「見え方」「行動」が変わるだけではなく、「世界」も変わると解釈すべきなのでは・・・と思えます。
すべて。
となると、①②だけでなく、③もこの言葉によって表現されていることになります。
つまりお釈迦様も「引き寄せ」や「思考が現実化する」ということをお認めになっていた、と解釈することもできます。
もちろんこれは・・・私個人の解釈なのですけどね。
「神との対話」との関係
思いによってすべてが成り立っているということは・・・これは「神との対話」に書かれていたことそのものなんじゃないでしょうか。
「神との対話」では、この本で「神」と呼ばれる存在が、いろいろなことを体験したいという「思い」から私たち多くの人間の魂や「世界」を作り出したと書かれています。
これってまさに、
意(おもい)は諸法(すべて)にさき立ち
諸法(すべて)は意(おもい)に成る
意(おもい)こそは諸法(すべて)を統(す)ぶ
ということだと思えます。
思いがすべてに先立つ。
思いによってすべてが成る。
思いがすべてを統べる。
ということ。
お釈迦様と、「神」と呼ばれる存在が、同じことを言っているとしたら・・・これほど興味深いことはありませんね。