自分の欲を捨ててとか、自分を勘定に入れずにとか、自分の幸せより他人の幸せとか、自己犠牲とか・・・
そういう考え方が「精神的レベルが高い」なんて言われることがありますが、それは嘘っぱちです。
まず、自分ひとりを幸せにできない人が他人を幸せにできるはずがありません。
「俺は自分を犠牲にして人のために働いてやってるんだぞ…」
という、怨念じみた波動を広げてしまうだけです。
「無私無欲」に見える人の3パターン
「いやいやそんなことはないですよ。◯◯さんは本当に無欲で、自分のことなんか全く考えていないのに、多くの人を幸せにしていますよ」
なーんて人もいるかもしれません。
でもそういう人はすでに、自分自身は完全に、パーフェクトに幸せなんです。
どういうことか?
自身は無私無欲(に見える人)で、他人を幸せにする人には3つのタイプがあります。
①生まれつきそうである人
②信仰的な「修行」でそうなった人
③自分の欲を満たすことでそうなった人
生まれつきそうである人
①はもう、そういう役目を自分で選んで生まれてきた人です。だから生まれつき、「一体感」を持っています。
「神様」「仏様」とでも呼ぶべき「偉大な何か」と常につながっていることを知っています。
だから、思考が現実化することも当然だと思っています。「引き寄せなんてできるのが普通ですよ」という感じの人。
「偉大な何か」とつながっていることを知っているから、自身が絶対的に安全であることも知っています。
思考は現実化することが普通なので、特に、必死になって何かを得ようとすることもありません。
つまり既に100%欲が満たされています。というか欲が満たされることはわかりきっているので「物欲しそう」になることもなく、欠乏感もありません。
となると当然、人から見れば無欲に見えます。
「一体感」を持っている、つまり自分も他人もつながっていることを知っているので、他人の幸せは自分の幸せでもあります。だからなるべく人を幸せに導こうとします。
もう、生まれついての聖人という感じですね。^^
信仰的な「修行」でそうなった人
②のタイプの人は、瞑想などの修業によって、①の境地に到達した人です。修業によって全てを「思い出した」人です。
で。
①と②は少数派でしょう。
①は言うまでもなく、②のように、人生のすべてを信仰に捧げる人は稀でしょう。
自分の欲を満たすことでそうなった人
なので私たち「一般人」(笑)が注目すべきは③のパターンでしょう。
③のパターンは、普通に自分の欲から出発します。自分の欲を満たすことを重視する、ごく一般的な人。
で、それだけで終わると普通の人ですね。
でも「自身は無私無欲(に見える人)で、他人を幸せにする人」の場合・・・
まず、「必死に何かを得ようとしなくとも、欲しいものは自然に手に入るんだ」ということを知ります。
それは、方法として意識されないこともありますが、意識される場合は「思考は現実化する」「引き寄せの法則」ということになります。
ここでは「引き寄せ」を意識したとしましょう。
引き寄せの法則を意識して試みるようになり、それがだんだん成功するようになり、最終的に自分の欲しいものはなんでも手に入れられるようになったとしましょう。
そうなると、
「ああ、引き寄せって普通にできることなんだ」
と、わかりますよね。
そうとわかれば、自分の欲なんていつでも満たすことができるわけです。
となるともう・・・半分①の人になったようなもので、まわりからは「無欲」に見えるようになるでしょう。
必死に何かを欲さなくとも、手に入ることはわかっているんだから。
「手に入って当然」と知ってしまったら…
そういう人は、最初のうちは面白くて、自分の欲望を満たすために「引き寄せの法則」を利用することになります。
でも・・・
だんだん、そればっかりやっていても、意味が無いような気がしてきます。
そりゃそうでしょう。自分の欲しいものはなんでも手に入るけど・・・そればっかりやっていると、「だからなんなんだ」という気持ちにもなってくるでしょう。
「欲しいものはなかなか手に入らない」と思っていた頃は、それを必死に手に入れようとして、手に入ったら喜んでいたけど・・・
でも「手に入って当然」の状態になった今、自分の欲望を満たすことだけを延々と続けるなんて馬鹿らしくなってくるわけです。
となると、そういう人は、自分以外の多くの人を幸せにしようと考えるようになります。
そうしてそれを実行することで、充実感を得るというわけですが、それもそのうち、「充実感」なんて個人的なものではなく、
「人の幸せは自分の幸せ」
という感じになってきます。ここまで来るともう「一体感」を得たも同然ですね。
そのうち、「偉大な何か」とのつながりも思い出すことでしょうし、ここまで来る過程で既に、ある程度は思い出しているということもあるでしょう。
そうなればもう、①の人と同じような境地に達したということになります。
人を幸せにできる人とは
結局のところ、人を幸せにできる人というのは、自分自身は完全に満たされているんです。
①の人は生まれつき「満たされている」ことを知っている。
②の人はなんらかの修行を通して「満たされている」ことを思い出した。
③の人は、まずは物質的欲望を満たしていくことで、最終的に「満たされている」ことを思い出した。
だからこそ「無欲」に見えるし、「奉仕」とも思えるようなことを平然と続けることができます。
だってそういう人は、絶対安心の境地にいるから何も怖いことなんてありませんし、欲しいものは必ず手に入るから欠乏を心配することもありません。
その上、人の幸せは自分の幸せでもあることを知っています。
周りの人を幸せにして当然です。
だからまずは、自分の欲望を満たす必要があるし、それが自在にできることを知る必要があるんです。
自分の欲望を満たすことから始める
昔々はね、「到達する」方法として②的な方法が多くの人に勧められたのでしょう。それがその時代にあっていたということです。それが昔の宗教というものなんでしょう。
でもそういうルートは、生き方・行き方は、今の時代には合わなくなってしまいました。
そこで、新しいルートとして「思考は現実化する」「引き寄せの法則」というものが流行るようになったのでしょう。
つまり、昔、宗教がやっていたことを、今は「思考は現実化する」「引き寄せの法則」がやるようになったということでしょう。
そこに何か「大いなる意志」のようなものを感じてしまいます。
「まず自分の欲望を満たすところから始める」
現代人にとって、とっつきやすいルートですからね。
でもその段階にいつまでもとどまっているのはもったいないです。
欲望を満たすことができても、そこから「ああ、引き寄せって普通にできることなんだな」という確信に至ることなく、次なる欲望充足に必死になっていたら・・・
これは延々と欠乏感に苛まれることになり「幸せ」とはほどとおい人生となるでしょう。
欲望を満たすことで「ああ、引き寄せって普通にできることなんだな」という確信に至る。ここが③ルートにおいて決定的に大事なところでしょう。
でもその確信さえ得られれば・・・自分自身は絶対的に幸せであるということがわかりますよね。
幸せの共振
そうしてそれを今度はまわりの人に伝える。数人でもいいから伝える。そうすると今度は、その数人があなたと同じような「絶対的幸せ」を得る。
そしてまた今度はその数人が、自身のまわりの数人にそのことを伝える・・・ということを繰り返していけば。
あなたが身近な5人を幸せにする。次にその5人が、各々身近な5人を幸せにする。さらに・・・と繰り返していけば。
そう遠くない未来、この星はそのまま天国、極楽浄土と呼ばれる場所になることでしょう。
自分の欲望から始め、自分を幸せにすることから・・・世界を変えることができるわけです。
「幸せの共振」
と言ってもいいでしょう。
あなたの出す「幸せの波動」に周りの人が共振する。
そうすると今度は、その人が出す幸せの波動に、その人の周りの人が共振する。
そうしてこの、幸せの波動の共振が、全世界を包み込む・・・
「狂信」ではありませんよ「共振」です。(笑)
まあ最初のうちは「狂信」でもかまわないですけど、そのうち自然な「共振」にしていきましょう。