仏教というか、お釈迦様、釈尊の教えの究極目標は
「輪廻からの解脱」
ということいなっています。
「六道輪廻」なんて言葉がありますが、普通の人は、いろいろと苦しみのある世界に何度も何度も生まれ変わるというんですね。
でもそんな、何度も生まれ変わって苦しい思いをするのはバカバカしいから、はやくその生まれ変わりの輪、「輪廻」から脱出=解脱しましょうということ。
仏教と異なる「輪廻」観
でもあの、スピリチュアルな考え方では、
「生まれ変わることで魂を向上させるんだ」
と言われることが多いです。
かたや「輪廻転生なんてはやく止めてしまいなさい」
かたや「輪廻転生を重ねて魂を成長させましょう」
と。
で、あともう一つあります。
「輪廻転生を重ねるのは単にそれが楽しいからだ」
という考え方。
これは、「神との対話」で説明されていた輪廻転生に対する考え方です。
どれが正しいの?
「いったいどれが正しいのか?」
と、思ってしまいますが・・・
結局のところ、
「どれも正しい」
のでしょう。
それはどういうことか?
つまり・・・「霊的な存在」にもいろいろな「主義」の人がいるということです。^^
「人」と呼ぶのはどうかと思いますけど(笑)、まあわかりやすくそう呼んでおきます。
「輪廻転生を繰り返すなんて、なんでそんな面倒で無意味なことをするの?」
と考えている人も、あの世にいるし、
「いやいや、輪廻転生を繰り返すことで、いろいろ学べるからいいんじゃない?」
と考えている人もいるし、
「え? 面倒? 私は楽しいからやってるんだけど・・・」
と思う人もいるということ。
なんかね、こちらの世界と似たようなものなんじゃないかと。
この世をゲームにたとえるとわかりやすい
たとえばこの世でも・・・ゲームってありますよね。ゲーム機とか、スマホとかでやるゲーム。
あれに対する態度と同じなんじゃないでしょうか。
ゲーム好きな人は、
「楽しいからやってるんですよ」
と言いますし、
ゲームに興味がない人は、
「ゲームなんて時間の無駄でしょ」
と言います。
それから、
「ゲームでもいろいろ勉強になるよね~」
っていう人も。
それと似たようなことなんじゃないかと思います。
輪廻否定派
輪廻修行派
輪廻娯楽派
こんな感じでしょう。
あなたはどの考え方で生きていきますか?(笑)
そこに「死」の入り込む隙はなかった
まあどの考え方をとるにしろ、そこに「死」というのはないですね。
別の存在に生まれ変わる、ということはありますが。
「死後の世界はない」
と言われるのも、そのことなのでしょう。
だって、死がないのなら、死後の世界もありえないですから。単に異世界に生まれ変わるということはあるでしょうが。
輪廻から解脱した場合を「死」と呼ぶことができるかもしれませんが、その後どうなるかについては、お釈迦様はお答えにならなかったそうです。
おそらく、そんな超越的な状態は、言葉では説明できないし、私たち人間の頭脳では理解できないからなのでしょう。
理解できる可能性「ゼロ」のものをあーだこーだ言ってみても、これまた時間の無駄だから、そんな暇があったら瞑想しなさい、ということですね。^^
言葉で説明できないことだけど、修行して解脱すればわかるから、と。