人を大雑把に3種類にわかるなら、そのうち2種類の人にとってお墓参りは意味がありません。
①死後の存在を完全否定している人
②「あるかもしれない」と思っている人
③「ある」と思っている人
死後の存在を完全否定している人
まず①の人にとって、お墓参りは意味がありません。これはわかりやすいですよね。
死後の存在、肉体を捨てたあとの存在を完全否定しているのに、お墓参りは行きます、というのでは全く論理的ではありません。
時間の無駄、資源の無駄ですので、お墓参りに費やされる時間と資源を、他のことに有効利用すべきでしょう。
「ある」と思っている人
③の人にとっても、お墓参りは意味がありません。
「えっ?」って思いました?^^;
なぜ意味がないのかというと・・・③の人は、死後の存在・・・まあわかりやすく霊とでも言っておきましょうか、そういうものは「あって当然」と思っているわけですよね。
ということで、スピリチュアルな知識も平均的な人より多いはずです。
だったら、「死んだあとお墓に住む」なんて馬鹿なことは信じていないはずです。
「あんな陰気なところに誰が住むか!」ってご先祖様も言っているはずですよ。(笑)「こっちは『この世のものとは思えない』ほど明るくてきれいで楽しいところなんだよ!」って。(笑)
スピリチュアルな存在にとっては、空間的な距離など意味はありませんし、意思疎通を音声や文字に頼る必要もありません。
つまり、心に思えばすぐにつながることができるというわけです。
ご先祖様のことを心に思えば、すぐにつながることができます。
ということですので、お墓参りに行っても意味はありません。そういうことを確信している人は、お墓参りに行くまでもなく、スピリチュアルな存在と頻繁につながっているからです。
「あるかもしれない」と思っている人
ということでお墓参りが意味を持つのは②に当てはまる人、ということになります。
②の人は「ひょっとしたらあるかもね~」くらいに信じているだけですので、日常生活では忘れていることが多いんです。
で、ほっとくとずっと忘れていることもあります。それじゃあご先祖様も寂しい!(笑)
そこで、「お墓参り」を定期的にすることを習慣としておけば、年に何回かはご先祖様のことを思い出して、つながることができるというわけです。
つまり、②のようなどっちつかずの人が、たまにはご先祖様とか、先に行ってしまった肉親とかを思い出して、つながるための仕組みとして、お墓参りは大いに意味がある、ということなんです。
余談:お墓に住む霊
霊能力を持っている人によると、「お墓に住んでいる霊」っているそうです。
それはどういう人かというと、生きている間に「死んだらお墓に住むもの」と強く信じてしまった人です。
そういう人は、死んだあともそう思ってしまう場合があって、素直にお墓に住んでしまうというわけですね。
お墓に住み着いてしまうということは、完全にあちらの世界に行けていないということなので、望ましいことではないでしょう。
誰かが知らせてあげる必要があるんでしょうね。