なぜ「生まれ変わり」「転生」があるのか?~「神との対話」編

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「なぜ生まれ変わり、輪廻転生があるのか」

と問うことは既に、「それがある」ということを前提としているわけですが・・・

なぜ「それがある」と信じているのかということについては、また別の機会にお話ししましょう。

今回は「ある」という前提で話していきます。

スピリチュアルな考え方では一般的に…

「生まれ変わり」については以前、こういう見方があると書きました。

輪廻否定派
輪廻修行派
輪廻娯楽派

仏教で言う輪廻からの解脱とスピリチュアル思想の関係

それで、多くのスピリチュアル的な考え方では、「生まれ変わり」「輪廻転生」を「修行」と捉えています。

いろいろな生涯を経験することで、魂を向上させていく、という考え方です。

だから、人生において「悪いこと」をしてしまうと、「魂が劣化する」と考え、それを取り戻すために修行としての「より苦しい人生」もあり得ると考えいます。

これに対して。

「神との対話」では

ニール・ドナルド・ウォルシュさんのベストセラー、「神との対話」では、「修行のための生まれ変わり」ということは否定されています。

「学ばなければならないことは何もない」と。

他ならぬ「神様」によって。

まあ・・・「あたしゃ神様だよ!」と言われても、信じられない人のほうが多いでしょうけど。^^;

ただ、この本に書かれてあることは、説得力があると個人的には思っています。

で。

生まれ変わりが魂の修行のためではないとしたら何のためか?という話になりますけど。

これは上記3つのうちの

輪廻娯楽派

とでも呼びたくなるような考え方なんです。

つまり、単にこの「いろいろと制限がある世界」で「いろいろと体験したいから」です。

私たち人間が、見知らぬ土地に旅行に行ったり、あるいは、ゲームをしたりして「異世界」を体験して楽しむのと似たようなものです。

「神との対話」においては、私たちはそもそも、「神」から生まれてきた魂、つまり神と同質の存在なのだから、これ以上向上する必要もない、と説かれています。

日本神道にも「分け御霊」という言葉がありますよね。

だから「魂の向上」のための修行として「生まれ変わり」を繰り返すのではないと。

いろいろ体験するためにこの世界を創った

この世界を仮に「三次元世界」と呼びましょうか。

で、この世界が作られる前に、「神様」が「いた」ところを「神の世界」と呼びましょう。

それで、神の世界では何だって可能なので、何を実現したところで「面白くない」わけです。

それでこの、時間的空間的な制約のある三次元世界をわざわざ作って、そこでいろいろと体験してみたいと思ったわけですね。

忘れていることを思い出す

それで面白いのは。

私たちはこの世界に生まれてくる時、自分たちが「神」ということを忘れて生まれてくるんです。
だって、最初からなんでもできてしまっては面白くないですからね。^^

そうして、この三次元世界で人生を経験していくうちに自分の「神」としての性質を徐々に思い出していくとのこと。

私たちの魂は本来神と同質で、修行して向上する必要はないのですが、この「思い出す」という過程を「向上」と捉え、人生経験を「修行」と解釈することもできますね。

そのように見るなら「輪廻修行派」との共通点も見出すことができます。

また、次のように考えることもできます。

つまり、この人生を楽しむためのルールとして「修行ゲーム」というのを作ったと。もちろん、私達自身で。

なぜそうしたかというと・・・「修行して成長する」というのは面白いからです。^^

ゲームでもそういうシステムって人気ありますよね。ゲームキャラを修行させて成長させていく仕組み。

つまりそういうルールで三次元世界を楽しむために作ったと。

そしてこの地球という星は「修行ゲーム」をするための星なのではないか?という解釈です。

そう解釈するなら、「輪廻娯楽派」と「輪廻修行派」は矛盾しないことになります。

それで。

思い出すことで人生が変わってくる

「神」であることを忘れてこの世界に来て、次第に思い出していくというのですが・・・

まったく思い出していない場合、これは「神」とは対極の人生を送ることになります。

そのような状態の場合は、この三次元世界は理不尽て不公平で、苦労ばかり多い人生となるのでしょう。

ただそれはそれで、「この三次元世界だからこそできる体験」として喜ぶ人・・・人というか魂もいるのでしょう。

で、その「まったく思い出していない状態」から、徐々に「神」としての性質を思い出してくると・・・次第に「神」の本質である「喜び」が人生に増えていくことになります。

このように、「神」であることを徐々に解放して、「神」であることを三次元世界で経験し、楽しむために私たちは生まれてきたと。

そう「神との対話」では説明されています。

あ、もちろん。

「神としての自分」を思い出すと言っても、それを「神」と認識するかどうかは人それぞれ違うでしょうし「神」と呼ぶかどうかも人それぞれでしょう。

「なんかすごく運がいいなぁ」

くらいに考えている人もいるでしょうし

「引き寄せがうまくいくようになった!」

と認識している人もいるでしょう。

必ずしもそれを「神」と認識しなくとも、「神の側」の人生を送ることはできるというわけです。