もちろんこれから書くことは、「私が確信している」ことにすぎませんので、みなさんこれを信じろというわけではありませんが・・・
でも、
「神様に愛されると長生きできない」
なんて、おかしいと思いませんか?
神の愛がそんな偏狭なはずはない
まず大前提として。
これでは、神様は「誰かは愛すけど誰かは愛さない」という偏狭な存在になってしまいます。
そもそもそこに違和を感じる。
「キミは気に入ったから愛してあげるよ」
「キミはなんとなく気に入らないから愛してあげないよ」
って。
神様がそんな、心の狭いことを言うでしょうか? これでは普通の人間と同じじゃないですか。
そんなことはないでしょ、と思うんです。
思いません?(笑)
スピリチュアルな考え方によると、私たちの「魂」と呼ばれているものは、神様から出てきたものです。
日本風に言うと、「分け御霊」ということになるでしょうか。
だからそもそも私たちは、「神の子」のような存在だし、「神の一部」と考えることもできるんです。
神様が「自分の子」であり「自分の一部」とも言える存在を、分け隔てするはずはないんです。
神の愛が「条件付き」のはずはない
2つ目として。
「神様」と聞いて最初に思い浮かぶのは「愛」なんですよね。
「神の本質は愛」と言われることもあるくらいです。
しかも、「神の愛」というわけだから、
「こうしてくれたら愛してあげる」
「こうしてくれないなら愛してあげない」
などという、「ニセモノの愛」のはずはありません。
「無限の愛」
「絶対的な愛」
のはずです。
この点から考えても、神様が「誰かは愛すけど誰かは愛さない」などということは、考えられないんです。
神が「離れていると困る」なんて思うはずがない
次、3つ目の理由。
「神様に愛されると長生きできない」というのは、
「神様が早く自分のもとに呼び戻そうとする」
という発想だと思うんですが・・・これもありえないことです。
この発想は、
「生きている間、人間は神様から離れたところで暮らしている」
という前提ですよね。
ところがその前提もおかしい。
全知全能で不可能なことはない神様が、
「離ればなれでさびしいわ」
なんて、遠距離恋愛みたいなことを思うでしょうか?
全知全能であれば、いつでも接触できるはず。
上述したように、私たちは「神の子」「神の分け御霊」とするなら、肉体をまとっていようがいまいが、常に神様とつながっているはずだからです。
だからわざわざその人を早死にさせて、自分のもとに連れ戻す必要はまったくありません。
常に接触はしているのだから。
「天才」は記憶に残りやすいので
でも、
「いやいや、神様に愛されているような天才的な人物は早死だよ」
という人がいるのはなぜか。
これは単純に、そんなものすごい天才が早く亡くなると記憶に残り安いからでしょう。
ごく普通の人だって、早く亡くなる人はいるわけですから。
また、霊的な真理をこの世に伝えるような人も長生きしていない・・・なんて思う人もいるかもしれません。
これは、自分でそのように寿命を決めて「この世」に来ているということでしょう。
そんな使命を持ってこの世に来るような人なら、あんまりこの世に長居したくないと思っても不思議ではありません。
伝えるべきことを伝えたら「はいさようなら」ということだってあるでしょう。
結局すべて自分で決めている
結局のところ、「自分で全て決めてこの世に来ている」ということが大事です。
これはどんな人も例外なくそうしています。
また、生まれてくる前に決めるだけでなく、生まれたあとも、常に私たちは、自分の人生について決めています。
つまり、この世でどれだけ生きるのかも、自分で決めているんです。意識する、しないにかかわらず。
そしてそれは、途中からでも変えることができます。
一般に「引き寄せの法則」とか「思考は現実化する」と呼ばれる現象ですね。
だから・・・
タイトルに書いたとおり
「神様に愛されると長生きできない」なんて話を信じてはいけない
ということです。
なぜならそれは、自分で自分に対して、そういう「ルール」を作っていることになるからです。
神様が人を早死させるわけじゃありません。自分でそうしているんです。