スピリチュアルな話によく出てくる「ハイヤーセルフ」ですが、似たような言葉がいろいろあって混乱してしまいそうです。
特に、
潜在意識
集合的無意識
超意識
ハイヤーセルフ
などと言われると、「なんのこっちゃ」ということになりそうですね。
なのでこれらの言葉をわかりやすく分類してみようと思います。
もちろん、こういう言葉は使う人によって意味が違うものでしょうから、あくまで「私にとってわかりやすい分類」ということになります。
潜在意識=個人的無意識
まず「潜在意識」ですけど。これは広い意味では他の3つも全部含んでしまいますので、ここでは狭い意味で捉えておきましょう。
潜在意識は「無意識」とも呼ばれますが、上に挙げた言葉からすると、「集合的無意識」とは区別されています。
つまり、潜在意識=「個人的無意識」とでも呼べばよさそうです。
あくまで「自分の肉体」を使った「個人的経験」によって形成された意識で、本人には普通は認識されていない意識、ということになります。
心のなかで「意識されていない部分」と言ってもいいでしょう。
他の3つは個人を超えた意識
潜在意識が「個人的無意識」なら、これ以外の3つは「個人」を超えていることになります。
つまり、あなたのその肉体、それで経験してもいないことを「知っている」意識、ということです。
学問的に装いたい場合は「集合的無意識」と言う
だからもう、集合的無意識も超意識もハイヤーセルフも、大雑把には「同じものを別の言葉で呼んでいる」と思っておけばいいでしょう。
ただ、「学問的」に装いたいときは「集合的無意識」という言葉が選ばれやすいです。
なぜならこの言葉は、心理学者のユングが用いた言葉だからです。
それに対して、スピリチュアルな考え方を受け入れるなら、超意識、さらにはハイヤーセルフという言葉を使うようになります。
集合的無意識は、個人を超えた無意識とされていますが、個人が経験できないものをどうやって得たのか、説明されていません。
まあこれも学問的に装うなら「遺伝子の記憶」とでも言っておけばいいのでしょう。
私たちが進化してきた過程で遺伝子に刻まれたもの、それが無意識に対して影響を与えているんだ、だから人類に共通するような「集合的無意識」もあるんだ、という説明の仕方です。
スピリチュアルな考え方を受け入れるなら
それにたいして「超意識」「ハイヤーセルフ」となると、肉体や遺伝子など「物」を超えた概念となります。
つまりこの2つの言葉を使う場合は魂とか霊とか、そういうものを意識しているということです。
ということで、
超意識=ハイヤーセルフの意識
と考えておけば良さそうです。
ハイヤーセルフは複数の人間に宿ることができる
じゃあ、ハイヤーセルフは遺伝子などとは関係なく個人を超えた意識をもつというけど、それはいったいどういうことなのか、という話になりますね。
ハイヤーセルフとは何かというと・・・まあ日本語に訳すと「より高い自己」となりますが、肉体によって制限されている顕在意識と潜在意識を超えた意識を持つ存在です。
「より高い自己」なのだから自分であることは確かなのですが、あなたの持っている「その肉体」に制限されていません。
ハイヤーセルフは、この三次元世界でいろいろな経験をするために、あなたの持つその肉体に宿り、この世界に生まれてきました。
肉体によって制限されているハイヤーセルフこそ、あなたが「自分」と思っているものです。
でもハイヤーセルフはべつに、一人の人間だけに宿るとは限りません。
同じハイヤーセルフが、過去・現在・未来といろいろな人間に宿ることができます。これが前世とか来世とか呼ばれるものです。
「転生」「生まれ変わり」というものですね。
また、過去とか未来に分かれるのではなく、同時に複数の人間に宿ることもできます。
ゲームにたとえるとわかりやすい
これ、MMORPGにたとえるとわかりやすいです。
たとえばFF14をプレイするとしても、一人のキャラしか使わない人もいれば、複数のキャラを同時に使う人もいます。
また同じ世界で複数の人間に宿るとも限りません。違う世界で人生を歩んでいることもありえます。
これもMMORPGにたとえるなら、FF14もプレイしつつ同時にドラクエ10もプレイしている、という感じですね。
そのように、ハイヤーセルフは複数の人間に宿って複数の人生を経験することができます。
だからハイヤーセルフは「あなた」という個人の意識を超えている=超意識ということになるわけです。
そしてそのハイヤーセルフこそ「本来のあなた」ということになります。
さらに。
ハイヤーセルフとワンネス
このハイヤーセルフは「複数の人間に宿ることができる」という意味で個人を超えているだけにとどまりません。
なぜなら、霊的な次元ではみんなつながっているからです。
「ワンネス」については前に書きました。
みんなつながっているということ。
だから、赤の他人の経験も、自分の経験のように知ることができるということです。
たとえるなら、インターネットのようなものですね。
私たちは霊的なインターネットでつながっているので、他の人が経験して得た知識も、望めば得られるということ。
検索するのかどうかは知りませんが。(笑)