(Yahoo!地図情報より)
山口県下松市で最も有名な神社といってもいいでしょう。
花岡八幡宮です。
下松市花岡戎町の花岡山にあります。
上の地図で見ますと道がないようですが交差点から花岡八幡宮まで道が続いています。
途中から石段ですが。
非常に古い神社でありまして、709年(和銅2年)に豊後国(大分県)の宇佐八幡宮から御神体を勧請して創建されたそうです。
宇佐八幡宮というと道鏡の神託事件で有名なんですけど、709年というと時代的には道鏡より数十年前ですね。
「なんと綺麗な平城京」の710年の前の年ですから。
そんな昔から花岡八幡宮はふるさとを守ってくださっているんですね。
西暦2008年で勧請からちょうど1300年目になります。
敷地内には花岡八幡宮だけでなく、重要文化財の閼伽井坊塔婆(多宝塔)や真言宗のお寺である閼伽井坊(あかいぼう)、はたまた七福神の一柱「寿老神」をまつる祠などもあり、神様仏様満載(?)の場所となっています。
周防花岡駅から出発
花岡八幡宮にお参りするには、周防花岡駅を目印にするのがわかりやすいでしょう。
周防花岡駅は、JR岩徳線の駅の一つであります。
岩徳線というのは「岩国」と「徳山」を結ぶ鉄道という意味です。
例えばJR東海道本線の徳山駅から電車に乗って周防花岡へやって来るということになります。
しかしこの岩徳線、なにぶん田舎の路線ですから、本数が少ないのです。
1~2時間に1本というところでしょうか。
列車時刻表をご覧ください。
都会の人は信じられないかもしれませんが、時刻表が見事にスッカスカです。
しかもこの駅、無人駅なんですよ。
駅員さんがいません。
自動改札だってありません。
なにはともあれ、ここ周防花岡駅から花岡八幡宮目指して歩くことにします。
心配要りません。
たいして遠くありませんから。
田舎道を行く
周防花岡駅の北側に出まして、そこから歩いていきます。
周防花岡駅を背にして、ちょっと進みますと右に折れる道がありますのでそこで素直に右に曲がります。
田舎によくある、車がほとんど通らない立派な道をしばらく歩きます。
いやー、結構な道路なのに空気は綺麗でしかも静かです。
のんびりと歩いていきます。
5分ほどのんびり歩きますと交差点にたどり着きます。
そこを左に折れればいよいよ花岡八幡宮の参道に入ります。
交差点に看板が出ていますね。
ここをまっすぐ進んでいくだけです。
初詣の時期ですが、あんまりお店は出ていませんでした。
参道と鳥居 交差点からひたすら北に進みますと花岡八幡宮の参道です。
鳥居が見えてくると思います。
初詣の時期なんですけど、あんまり人がいないようです。
東京の明治神宮や浅草寺とはずいぶん違うものですね。
参道には灯篭も見られます。
そういえば、小学校の遠足の時、先生から灯篭には近づくなときつ~く言われたものでした。
もちろん危険だからです。
重い石が落ちてきて潰されるぞ!と脅されてホントにビクビクしながら歩いたことを思い出します。
親亀の背中に
参道をしばらく進みますと花岡八幡宮の敷地内に入ります。
そこで目に付くのが・・・・・・亀! 右手に亀が見つかります。
生身の亀ではなく石になった亀です。
ことによると元々石かもしれません。
その石の亀がでっかい石碑らしきものを背負っています。
この亀は何故こんな責め苦を・・・・・・というのは置くとしても、石碑には字が書いてあるのかどうかも定かではありません。
激しく風化している様子でした。
この亀の近くに公園があります。
自動車がたくさん止まっていましたのではじめは駐車場かと思いましたが、中に入って観察すると公園でした。
駐車場はもうすこし高い場所にあります。
駐車場として開放されているのかどうかはわかりません。
初詣の時期だけの特別措置なのでしょうか。
公園の片隅に、胸像が立っていました。
「上原乙治」さんだそうです。
郷土の偉人らしいのですが、残念ながら私はこの人がどんな人か知りません。
この人のことを説明したらしい碑文もありました。
末武の教育・文化に貢献した人らしいです。
石段
さて、いよいよ石段です。
覚悟を決めて上りましょう。
数えてみたところ200段ほどしかありませんでした。
もっと多いところはたくさんあるでしょうから、楽なものです。
・・・・・・たぶん。
石段を上る前に、花岡八幡宮の由来その他を説明する看板がありました。
読んでみましょう。
「祭神は、応神天皇、神功皇后、市杵島姫命、端津姫命、田心姫命の五柱で、第四十三代元明天皇、和銅二年(七〇九)に、豊前国(大分県)宇佐八幡宮の分霊を勧請して、末武上・中・下、平田及び米川下谷の五ヶ村の産土神としてお祀りしてある。
拝殿には、岩瀬長五郎の竜の彫刻や、従一位近衛忠煕の筆による「永寿嘉福」の額や、寛政時代の状況を示す「祭礼図」の絵馬が掲げられている。
その他、豊臣秀吉の朱印状をはじめ九十七通の古文書類、大太刀等所蔵されている。」
なんと、花岡八幡宮ができたのは大和時代の終わりなんですね。
元明天皇というのは奈良の都平城京を造った女性天皇です。
和同開珎という貨幣が造られたのもこの天皇の時です。
さて、この後が石段です。
張り切って上ります。
若い人は石段の真ん中を上りましょう!手すりは空けておいてください・・・・・・
トイレと鐘と門
石段を上っていきますと、120段を超えた辺りだったと思いますが、左手に入っていく道が見つかります。
これです。
こっちへ進んでいくとトイレがあるようですが・・・・・・放水銃・・・トイレと放水銃・・・意味深です。
それから石段の途中には右側に入っていく道もあります。
そちらには釣鐘がありまして、除夜の鐘なんかも叩けるはずです。
私は除夜の鐘を叩きに来たことはありませんけど。
さて、右にも左にも曲がらずに石段を上りますと立派な門にたどり着きます。
確か、160段を超えた辺りだったと思います。
この門をぬけますと、花岡八幡宮の境内ということになります。
向こうに拝殿も見えてきます。
多宝塔
門を抜け、石段を少し上りますと目の前に境内が開けてきますが最初に目に付くのは多宝塔です。
高さ13メートルの日本重要文化財なんですって。
正式名称は「閼伽井坊塔婆(あかいぼうとうば)」というらしいです。
しかしこの多宝塔、説明書きを見てびっくりしました。
藤原鎌足が建立した、日本十六塔の一つなのだそうです。
日本十六塔がなにを意味したのかは知りませんけど、藤原鎌足というと、あの大化の改新の中臣鎌足のことでしょう。
「645年大化の改新が始まる」って学校で習いましたよね。
でも花岡八幡宮ができたのは先述したとおり709年です。
ということはこの多宝塔、花岡八幡宮ができる前からこの場所に存在したということですねぇ。
ただ、現存する多宝塔は、室町時代に再建されたものだということです。
お土産物屋・拝殿
多宝塔から進行方向に目を戻しますと、左手に売店がみつかります。
お土産も売られていますし、おみくじもあります。
絵馬や破魔矢なんかも売られています。
鎮守の社を守るためにも積極的に買いたいところ!
そして拝殿に向かうわけですが、拝殿はもう一段高いところですのであと少しだけ石段を上らねばなりません。
石段の前に手水台があって、手を清められるようになっています。
手を清めたら、石段を上っていよいよ拝殿にお参りです。
さすがに初詣の時期だけあって、田舎だけどそれなりに人がいました。
お参りの仕方! まずお賽銭を入れまして、それから鈴を鳴らします。
カランコロン。
そして二拝二拍手一拝。
手を合わせて二度礼をして、パンパン、そして一礼。
しかしまあ形式はともかく、心がこもっていれば問題ないでしょう。
生きとし生けるものが幸せでありますように・・・・・・
資料館
拝殿でお参りを済ませまして、左のほうを見ますと資料館があります。
資料館といってもごく普通の平屋です。
それほど広いわけでもありませんから資料満載というわけではありません。
さて資料館の入り口にはこのような絵が掲げられています。
正直、何の絵なんだかさっぱりわかりません。
説明してくれる人もいませんし・・・・・・ それよりも、一目で「すごい!」と思えるものはこれです。
別アングルから。
写真だと迫力に欠けますけど、大太刀です。
どれくらい大きいのかといいますと、柄の部分まで入れると長さ4メートル近いです。
こんな太刀、誰が使うのでしょう・・・・・・ ベルセルクのガッツだってこりゃ扱えそうにありません。
そばにこの太刀に関する説明がありました。
攘夷を具現化・・・ですって! 確かに長州藩は、幕末には尊王攘夷論の強い土地でした。
外国勢力など実力で排除できると信じていました。
その思いが大太刀となって表現されたわけですね・・・・・・ これで黒船をぶった斬るつもりというわけでもないでしょうけど、もしそうなら斬艦刀ですね。
それにしても150年位前に作られたというのに、錆びていないのですよ。
藤原国綱という人はそれほど腕のいい刀鍛冶だったのでしょう。
花岡八幡宮を描いたらしい絵も飾られていました。
左上に鳥居と建物が見えますが、どうやらそれが花岡八幡宮らしいです。
お参りしている人がたくさん描かれていますね。
神札納所
拝殿から右の方を見ますと、「神札納所」という建物があるのがわかります。
小さい建物ですけど古いお札やお守り、破魔矢などを納めるのでしょう。
お焚き上げしてもらうのですね。
お札やお守りなどは可燃ごみと一緒に捨てるわけには行きませんから こういう場所に納めるわけです。
そして集めたお札は本殿の裏に集められるようです。
ここにいきなりお札を入れないようにと書かれてあります。
本殿東の納所に集めたものをここに移して焚き上げの儀式を行うのでしょう。
駐車場
売店や手水台があったところから参道を東のほうにはずれますと駐車場にたどり着きます。
そしてこの駐車場まで車で上がってきますと、石段を170段あまりもすっ飛ばすことができます。
花岡八幡宮のある花岡山の東斜面を車で上って来ることになります。
そうすれば石段で息を切らすこともないのですが・・・ でも・・・・・・
やっぱり石段があるのなら石段を上ってお参りしないと有り難味が薄れるような気がするのは私だけなのでしょうか・・・
ただ、他に車を止める場所を見つけるのも難しいのですけどね。
裏八幡宮
花岡八幡宮1300周年ということで本殿正面は修繕中でしたので裏に回って建物を背後から見てみることにしました。
拝殿の左のほうから入っていきますと、まずは神棚の列が目に入ります。
方々の神様が祀ってあるようです。
ここを通り過ぎて本殿の背後に回りこんでみます。
背後から見てもやっぱり立派な建物ですね。
さて、ここから回れ右をして前進しますと、とある空き地に出ます。
神社本殿の背後に広がる空き地・・・いったいなにを意味するのか?
地図で調べてみると、「花岡公園」と書いてあるのですけど、公園というよりも単なる空き地に見えますね。
さて戻りましょう。
本殿の脇を通って正面に戻りますが、こんどは神棚のない側を通ります。
こちらには灯篭が並んでいました。
灯篭はやっぱり危険なのです。
小学生のころの遠足で注意されたとおり! 街の風景 お参りも済ませましたので帰途につくことにしました。
狛犬
帰る前に拝殿前の狛犬に呼び止められました。
「あー、うー」 おそらく「阿吽」のことを言っているのでしょう。
こちらの狛犬様は「吽形」のほうですね。
「足の悪い方、足をさすりますと軽くなるといわれています」 とのことです。
石段を下りようとしたところで、夕暮れの風景に目が止まりました。
もう夕方です。
結構山が多いのですね。
高い山はないのですけどね。
今度は石段の途中から。
古くはこの花岡のあたりが下松市の中心だったと聞きます。
花岡八幡宮の門前町として発達したのでしょうか。
現在でもごらんのとおり、家が建て込んでいます。
お大師様
花岡八幡宮の石段を上る前に「閼伽井坊(あかいぼう)」という場所があります。
真言宗のお寺ですね。
正式には「坊」、お坊さんの寝泊りする場所なんですけど。
閼伽井坊の門を入る前に、お大師様が祀ってありました。
この大きな数珠をがらがら引っ張ると回転させることができます。
回転させながらお祈りしている人もいました。
また、「五鈷杵(ごこしょ)」という法具も置いてありますね。
結縁五鈷杵(けちえんごこしょ) 五鈷杵はお大師様が右手に持っておられる法具です。
「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」 と唱えながら、五鈷杵に触れ、お大師様と縁を結び 御自身で「心願成就」を念じてください。
と書いてあります
この五鈷杵に触れてお大師様を念じますと、お大師様と縁が結べるようです。
お大師様とは弘法大師空海のことですよ。
閼伽井坊門
閼伽井坊に入ってみます。
閼伽井坊の門はこんな感じです。
看板の文字は、えっと・・・・・・ごめんなさい、読めません(泣)。
門扉には閼伽井坊に関する説明が書いてありました。
ご本尊は「虚空蔵菩薩」。
開祖は弘法大師空海です。
空海は若き日に「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」を修して、無限の智慧を手に入れたといわれます。
室戸岬の洞窟に篭って、 「ノウボウアキャシャキャラバヤオンアリキャマリボリソワカ」 と百万回唱え続ける。
これは虚空蔵菩薩の真言を念じているのですね。
それで真言宗閼伽井坊の御本尊は虚空蔵菩薩なのでしょう。
地蔵菩薩
閼伽井坊の門を入りますと右側にお地蔵さんが祀ってあります。
お地蔵さんも「菩薩」なのですね。
菩薩というのは仏の境地を目指して修行している存在のことを言うそうですが、特に衆生を救うという方法で修行を重ねている存在を指します。
お地蔵さんは我々がどんな世界にいようと助けに来てくれるそうです。
六道輪廻という言葉がありますが、天・人・修羅・餓鬼・畜生・地獄、どの世界にいても救いに現れると言われています。
お釈迦様がこの世を去った後、56億7千万年後に弥勒菩薩がこの世に現れるまでの間、衆生の救い手がいなくては困るということでお地蔵さんが働いてくださっています。
56億7千万年もの間、中継ぎ投手の役割をするのですね。
また、弱者を優先的に救ってくれるということで、写真のお地蔵さんの背後には、幼くしてこの世を去った霊を供養する場所がありました。
さて、お地蔵さんの向かい側には「閼伽水(あかすい)」というのがあります。
これで手や口を清めるようになっていますが、口を清めるのは勇気が要りますね・・・・・・ さらにお寺ですから鐘もあります。
ここでも除夜の鐘が撞けるはずです。
観音菩薩
お地蔵さんの前を通り過ぎますと、「満願線香」というのがあります。
ここで線香を焚きまして、願い事をします。
満願線香の前に建物がありますがそこが本堂のようで、お経が聞こえていました。
私は真言宗のお経はよく知りませんけど、たぶんお経です。
また、ここではお守りや護摩木も買えます。
さて、ゴマ木をどこで使うのかといいますと、ここですね。
門から入って満願線香のちょっと右のほうです。
「観音ゴマ」と書いてあって、暗い穴が口をあけています。
どうやらゴマ木を買って、自分の氏名・年齢・願い事を書いてここに納めるらしい。
そうすると観音様が願いをかなえてくれるということです。
それにしても閼伽井坊には菩薩が3人もいらっしゃるのか。
入り口に地蔵菩薩、本堂に虚空蔵菩薩、そしてここの観世音菩薩。
それだけかと思いきや・・・神様もいらっしゃいます。
寿老神
諸菩薩だけでなく、閼伽井坊には寿老神も祀られています。
寿老神とは七福神のひとつで長寿を授けてくれる神様ですね。
ちなみに七福神とは、 恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋 の七神をいいます。
まず門を入る前に出迎えてくださいます。
門を入って右のほうに行きますと階段があります。
狭い階段ですが、そこを上りますと寿老神を祀る建物があります。
この建物は、花岡八幡宮に上る石段からも見えます。
非常に目立つ建物ですから、「なんだ?」という感じで目に留まると思います。
花岡八幡宮まとめ
山口県下松市は観光スポットはあまりないのですが、花岡八幡宮は地元ではそれなりに有名です。
山口県に観光にくるという場合は是非、下松市にも立ち寄りまして花岡八幡宮にお参りしてみてください。
さて花岡八幡宮へのアクセスですが、もし山口県外からくる場合は、というか下松市外からくる場合は、花岡八幡宮が山口県下松市にあるにもかかわらず隣の周南市からくる方が便利でしょう。
なぜなら花岡八幡宮に近い駅はJR周防花岡駅なのですが、これはJR岩徳線という路線の駅なんです。
で、JR岩徳線は名前の通り山口県岩国市と徳山市を繋いでいますので、岩国市かまたは徳山市これは現在の周南市ですね、からくるのか便利だということです。
岩国市と周南市がなぜ便利かといいますと新幹線停車駅があるからです。
ところが下松市にはそれがありません。
ということで、周南市の徳山駅まで新幹線できまして、そこからJR岩徳線に乗り換えて周防花岡駅で降りると良いでしょう。
この周防花岡駅は駅員さんがいませんので寂しいものです。
周防花岡駅を出ましたら駅を背に少し進みますと右に曲がる道があると思います。
T字路になっているところです。
そこを右折してしばらく進むと今度は十字路がありますのでそこを左折します。
あとはそのまま真っすぐ進みますと鳥居が見えてきます。
それをくぐって更に進みますと石段があります。
後はその石段を登るだけですね。
花岡八幡宮は桜の名所ということになっていますので春の桜の時期に訪れてみるのがよいでしょう。
また御利益としましては開運厄除や交通安全ということになっています。
また花岡八幡宮の本殿、お賽銭箱がある場所の左側には資料館があります。
そこには一体何を切るのだろうというくらい大きい刀が置いてありますので一見の価値はあろうかと思われます。