飯田史彦さんの「生きがいの創造」という本は、私にとって大きな衝撃となりました。
立ち読みで涙が溢れたのはこの本だけ
それまでの私といえば、ガチガチの唯物主義者だったのです。霊だのあの世だのを信じる者は馬鹿だと、不遜にも思っていたのです。
自分が知的に優れていると、思い上がっていたのです。若造が、自分は世のすべてを知っていると信じていたのです。
増上慢というやつですね。
飯田史彦さんの「生きがいの創造」にしても、初めて書店で目にしたときは
「あんたなんかに生きがいをどうこう言われたくないよ」
なんて思って手に取ろうともしなかったのですね。
ところが、社会人として何年も過ごし、世の中の不条理をいやというほど味わった後のある日、再びこの本にめぐり合ったのでした。
いや、その時は以前にも飯田史彦さんの「生きがいの創造」を目にしていたことは忘れていましたね。
なぜかその時は私は飯田史彦さんの本を手に取り(文庫化されていました)、読んだんです。こういうのを縁と言うのかも知れません。守護霊の導きでしょうか?
一読涙が流れそうだったのを憶えています。
ここで、「生きがいの創造」に書かれてあることと、江原啓之さんのスピリチュアル法則を比較して考えてみたいと思います。
江原啓之さんのスピリチュアル法則
江原啓之さんのスピリチュアル法則とは以下の様なものです。
【1】魂の法則
魂の法則。
人間の本質は肉体ではなく魂、霊であるという江原啓之さんのスピリチュアル法則です。
私たちは魂を成長させるためにあの世からこの世に生まれてきました。
実生活で運が悪いとか不幸せとかおもえる事態おおいとおもいますが、決してそう考えるべきではありません。
なぜならスピリチュアルに考えるなら、人生の困難は自らの魂を成長させるために自分自身が課した試練だからです。
【2】ステージの法則
ステージの法則。
ステージとはつまり私たちのスピリットのレベルのことですね。
私たちはスピリットのレベルを上げるためにこの世で生きているというスピリチュアルな真理があるお陰で、納得して生きていくことができるのではないかと思います。
【3】グループソウルの法則
グループソウルの法則。
魂は決してひとりではなく、あの世においては集団を形成しています。
その集団をグループソウルといいます。類魂とも。
グループソウルに関してはいろんな見方ができまして、このグループソウル自体が本来の自分であるとも考えられます。
【4】守護霊の法則
守護霊の法則。
ガーディアンスピリットとかガーディアンエンジェル(守護天使)ともいいますね。
守護霊がいない人は存在しません。むしろ複数の守護霊がついているのが普通です。普通というよりそれがあの世のシステムです。
【5】波長の法則
波長の法則。
簡単に言ってしまえば「類友」の法則です。類は友を呼ぶというやつですね。これはこの世でもあの世でも通用するようです。
私たちが後ろ向きな感情や考えにとらわれていれば周りにはネガティブな人間が集まってくることでしょう。
スピリチュアルな考え方をしなくても、なんだか似たような人がグループになってることって多いものです。
特に、人の悪口が好きな人と嫌いな人のグループは明確に分かれているようです。
【6】カルマの法則
カルマの法則。
カルマとは、自分がやってきたことの、将来に対する潜在的な影響力と考えればいいと思います。
自分の蒔いた種は自分で刈り取らなければならないということです。すべては自業自得と言いましょうか。
ただこれはこの人生のうちにやってくるとは限りません。
【7】運命の法則
運命の法則。
運命とは変えられないものであると考えられがちですが、そうではありません。
江原啓之さんはスピリチュアル理論において、運命と、宿命と言う言葉を使い分けています。
【8】幸せの法則
幸せの法則。
本来幸せになるのは単純な方法で可能だということです。
それはなぜかというと、私たちは本来のスピリットの状態であれば「絶対的幸福」の状態だからです。
以上の8つが江原啓之さんの言うスピリチュアル法則です。
「生きがいの創造」との共通点
飯田史彦さんの「生きがいの創造」と江原啓之さんのスピリチュアル法則には、共通していることが多いです。
まず【1】で、私達の本質は「魂」とでも呼ぶべき何かであること。
「生きがいの創造」では、特定の信仰を想起させないために「意識体」という言葉を使ってますが、どちらにしろ、私たちの正体は「肉体」ではないということ。
そしてその魂は、生まれ変わり、転生を繰り返している、ということです。
【2】では魂のレベルアップをするために私たちは生まれ変わりを繰り返すと説かれます。
「生きがいの創造」でも私たちは「成長」のために生まれ変わりを繰り返すと説明されます。
そのために、「一見悪いように見えること」でも、人生で起こっていることはすべて必要で最善なことであると説明されています。
【3】のグループソウル、類魂については、「生きがいの創造」でもソウルメイトやツインソウルという言葉が出てきます。
ソウルメイトとは~ツインソウルとの違い、出会いと別れ【袖すり合うも多生の縁】
【4】についても、「生きがいの本質」でも守護霊的な存在は出てきます。
江原さんの説明する守護霊には、「主護霊、指導霊、支配霊、補助霊」という整理された区分があります。
一方、生きがいの創造にはそういう話は出てきません。
でもそういう区分はあくまで人間である私達が理解しやすいようにするためのものですので、些細な違いと言うべきでしょう。
【5】の波長の法則については、「生きがいの法則」では直接言及されていません。
ただ、スピリチュアルであろうとなかろうと、「類は友を呼ぶ」というのは常識的なことですね。
【6】で「カルマ」と言われると、なんだか「悪いことをした罰を受けなければならない」というふうに感じられてしまいます。
「生きがいの創造」では「罰」という考え方はなく、人生で起こることは全て自分で決めて生まれてくる、という考え方です。
自分を罰するのは自分のみで、神仏のような何か超越的な存在から罰せられることはないということです。
【7】の運命も、考え方は共通していますね。全て自分で決めるわけですから。「運命の女神」のような存在がいて、私たちに何かを強制するわけではないということ。
【8】も共通です。私たちは本来、絶対幸福、絶対安心の存在なんです。
さて。
注意点
ここからは私個人の考え方・・・というか、その後の読書によって得られた考え方ですが・・・
上記8つのスピリチュアル法則の中で、最も気をつけなければならないのは「カルマの法則」でしょう。
とかくカルマというと「罪と罰」みたいな考え方になってしまって、特に日本人のような真面目な民族はわざわざ「自分を罰する人生」にしてしまうことが多いんです。
それはやめよう!
と言いたい。
まず、神様や仏様と呼べるような何かが、私たちを罰することはありません。絶対にありません。なぜなら「愛100%」の存在だから。
自分を罰するのは自分自身、つまり自分でそういう人生を創造してしまうということ。
「これはカルマなんだから仕方ないんだ」なんて思って、わざわざつらい人生を創造してしまうということ。
それはやめよう!
私たちはこの世に、楽しむために生まれてきたのだから。
それと関係していることでもう一つ誤解しやすいのが「魂のレベルアップ」「成長」という考え方。
そもそも私たちは、神仏とも呼べるようなパーフェクトな存在から生まれてきたものなので、私たち自身パーフェクトなんです。
それなら「魂のレベルアップ」「成長」なんて必要ないでしょ、って思いますよね。
なぜそういう考え方になるのか?
こちらにも書きましたが・・・
人はなぜ苦しむのか?~引き寄せ的、スピリチュアル的に考えておかしい?
つまり、自分の素晴らしさをはっきりと認識するためなんです。
だからわざわざ「成長ゲーム」というのを作ったんです。言ってしまえばこれも楽しむためです。
ほら、RPGとかのゲームでも、「レベル1」からスタートしますよね。あれとおなじ。
いきなり「レベルMAX」「最強無敵キャラ」でゲームが始まったら・・・返品ものですよね。(笑)
成長ゲームなのだから、
「魂の修行だから苦しいのは仕方ないんだ」
なんて、思うべきじゃないんです。楽しくない修行はどんどん放棄。(笑)
おなじ修行なら、ゲーム的な楽しい修行をすべきなんですよ。
附:究極の除霊の方法
あとはですね、「波長の法則」関連ですけど、「除霊」とかって気にする人も多いですよね。
「なんか悪い霊に取り憑かれたみたいなんだけど」
「除霊ってどうすればいいの」
って。
それで専門家に頼んで、除霊とかお祓いとかしてもらうこともあるでしょう。
そういうの、もちろん本物であれば効果があるのですけど・・・
「波長の法則」。
つまり、いくら除霊しても、波長の法則で自ら引き寄せてしまっては意味が無いということです。
ここは、上述のこととも関係ありますが、自分を否定して、自分を罰するような考え方でいると、それにふさわしい存在たちが寄ってくるということなのでしょう。
だから究極の除霊の方法というのは・・・
「本来の自分」を思い出すことなんです。
神仏と同質である自分、自分の人生の全てを決めて創造することができる自分、常に神仏と呼べるような何かとつながっている自分。
愛と光である自分。
存在するだけで、100%愛されている自分。
そして自分を一切否定せず、自分を100%愛すること。
まあ100%自分を愛するのは難しいかもしれないけど。^^;
でもそういうことを意識するだけでも、除霊の必要性など消えてしまいます。
波長の低い霊がやってきても、逆にその霊を、本来の「愛」に戻してあげることだって、できるかもしれません。