最初に世紀ごとの特徴を超単純にまとめることで日本史の流れを見てみます。大昔は無理だけどね。(笑) あと、20世紀は前後に分けます。
世紀別日本史を簡潔に
【原始】
1万6000年以上前(旧石器時代)…無土器、狩猟採集
1万6000年前~3000年前(縄文時代)…縄文土器、竪穴住居、貝塚
3000年前~AD3世紀(弥生時代)…稲作、金属器、争い、邪馬台国
【古代】
4世紀…古墳増える、大和政権拡大
5世紀…倭の五王
6世紀…仏教伝来、蘇我氏実権、聖徳太子
7世紀…大化の改新、天皇中心へ
8世紀…奈良での政権争い
9世紀…蝦夷征服、摂関政治スタート
10世紀…武士成長、平将門の乱
11世紀…藤原氏の絶頂から院政へ
【中世】
12世紀…武士による権力奪取、平清盛、源頼朝
13世紀…承久の乱、モンゴル襲来
14世紀…南北朝の騒乱、足利義満による権力集中
15世紀…土一揆、応仁の乱、戦国時代スタート
【近世】
16世紀…鉄砲とキリスト教、織田信長、豊臣秀吉による天下統一
17世紀…江戸幕府の完成から文治政治へ
18世紀…財政建て直しの試み、徳川吉宗、田沼意次、松平定信
【近代】
19世紀…海外からの衝撃→明治維新、中央集権国家へ
20世紀(戦前)…列強入り、経済危機から戦争へ→敗戦
【現代】
20世紀(戦後)…アメリカとの協調で復興、高度成長、バブル景気、バブル崩壊
世紀ごとに超単純に見ていくと日本史は以上のようになります。
簡単ですね!・・・そうでもないか。(笑) 歴史の年代暗記をするのは、以上のような流れを頭の中で整理しやすくなるからです。
弥生時代の始まりが学校で習ったものよりはるかに早くなっているかもしれませんけど、最新の学説を採って紀元前10世紀頃としています。
時代別日本史を簡潔に解説
次に同じことを時代別でやってみましょう。弥生時代までは同じなので省略。
【古代】
古墳…大和政権拡大、私地私民、氏姓制度
飛鳥…聖徳太子→大化の改新→律令=天皇中心へ
奈良…皇族と藤原氏の政争
平安(前半)…摂関政治、藤原氏絶頂へ
平安(後半)…院政、武士成長
【中世】
鎌倉…御恩と奉公、承久の乱、御成敗式目、モンゴル襲来
室町…南北朝、足利義満、戦国
【近世】
安土桃山…天下統一、兵農分離、石高制
江戸(前期)…幕藩体制確立、文治政治へ
江戸(中期)…財政改革と失敗
江戸(後期)…海外からの衝撃と新体制の模索
【近代】
明治…中央集権の確立、産業の近代化、列強入り
大正…デモクラシー、大戦景気→戦後不景気
昭和(戦前)…経済的苦境から戦争へ
【現代】
昭和(戦後)…復興、高度成長、石油危機、安定成長、バブル
「昔は古墳時代なんて言わなかったよ!」
という人もいるかと思いますが、いつのころからか弥生と飛鳥の間に古墳時代が割り込むようになりました。
古墳時代と飛鳥時代を合わせて「大和時代」と呼ぶこともあります。
日本史全体の流れを一気に解説
以上のことを元にして、日本史全体の流れを超簡単に説明してみましょう。
原始…道具は世界最先端、農業も意外に早くから
原始時代、道具の進歩に注目すると日本は世界最先端レベルです。農業も縄文時代には始まり、弥生になると稲作が本格化します。
その影響で定住化集住化が進み、「身分」差も生まれてきます。争いも増え、次第に集団が統合され、強大な邪馬台国も生まれます。
古墳時代…大和政権の勢力拡大
そこから古代へのつながりは定かではありませんが、古墳時代になると大和地方を中心とした政権が勢力を広げ、だいたい九州~関東を勢力下に収めます。
飛鳥時代…天皇中心の政治へ
しかし6世紀には豪族同士の争いや地方での反乱など国が乱れたため、世紀末には聖徳太子が天皇中心の国にするための諸改革を始めます。
それが大化の改新を経て、天武天皇の親政、大宝律令制定で一応完成します。
奈良時代…皇族と藤原氏の政争
律令が完成したのも束の間、奈良時代は皇族と藤原氏が権力争いを繰り返すことになります。
また、仏教を政治に取り入れたため、仏教勢力も加わって争いは複雑化します。
平安時代…摂関政治のち院政、武士の成長
桓武天皇は律令政治を立て直すために奈良を離れます。
しかし結局のところ「天皇の外祖父」という立場を死守した藤原氏が勢力を伸ばし、摂関政治が続くことになります。
摂関政治の頂点は11世紀前半の藤原道長・頼通のころですが、頼通には天皇になる孫が生まれず、そこから藤原氏は力を失っていきます。
11世紀後半、後三条天皇親政から白河上皇の院政に移行し、天皇を退位した上皇が絶大な権力を振るうようになります。
一方、地方の政治は国司に「丸投げ」状態で、その国司も多くは地方政治に興味はありませんので地方でも争いが増えます。
そんな中、戦闘力の高い「武士」と呼ばれる人々が現れ、次第に力を伸ばしていきます。天皇の血を引く平氏や源氏は、武士団の棟梁としての「ブランド」となります。
10世紀の平将門の乱、藤原純友の乱、11世紀の前九年の役、後三年の役などで朝廷も武士の力を認識するようになり、白河上皇の「北面の武士」をはじめ、朝廷でも活用されるようになります。
そこを足がかりに武士は朝廷で力を伸ばし、平安時代末にはとうとう武士が権力争いの中心となります。源平の争いです。
鎌倉時代…御恩と奉公、幕府が朝廷を超える
源氏の将軍は3代で終わってしまいますが、その後は北条氏が執権として鎌倉幕府の政治の仕組みを整えていきます。武家の基本法となる御成敗式目も定められます。
承久の乱では後鳥羽上皇を中心とする朝廷の軍にも勝ってしまい、ここで初めて武士の政府が実力的に朝廷をしのぐこととなります。
しかしこれ以後は、次第に新たな土地を手に入れることが難しくなっていきますので分割相続を繰り返した結果貧困化する武士も増えていきます。御恩と奉公システムがゆらぎ始めるわけです。
そこにモンゴル襲来(元寇)。これは撃退できたものの、新しい土地を奪えたわけではありませんので、多くの武士の貧困化に拍車がかかります。幕府から離れていく武士も増えていきます。
その流れを捉えた後醍醐天皇が有力な武士を味方につけ、鎌倉幕府を滅ぼします。
室町時代…はじめは南北朝、終わりは戦国、安定期短し
勝利した後醍醐天皇は公家を重んじたので武士の不満を高めてしまいます。それを見た足利尊氏は天皇を裏切って実権を奪います。
後醍醐天皇は吉野に逃れたので、以後、天皇が二人という異常事態が続きます。この後しばらくは争いが続きますので室町時代のはじめ60年程度を南北朝時代とも呼びます。
これを収めたのが足利義満で、義満は武家も公家も仏教界も制御し、日明貿易で財力も増して足利氏の絶頂期を築きました。
義満死後は幕府の権威もゆらぎ始め、1467年の応仁の乱をきっかけに戦国時代に入っていきます。
安土桃山時代…信長、秀吉による天下統一
1573年、15代将軍足利義昭追放によって織田信長が戦国時代を終わらせますが、天下統一までもう少しのところで明智光秀の裏切りにあい、倒されます。
その後、羽柴秀吉が信長の事業を引き継ぎ、1590年に天下統一を完成させます。
また、太閤検地によって税制の基礎を作り、刀狩りによって兵農分離を進めます。
晩年に朝鮮出兵しますがこれは失敗、秀吉は病死します。
江戸時代…幕藩体制と鎖国による長期安定
その後は徳川家康が関が原と大坂の陣で勝利し、徳川による支配を確立します。
17世紀前半、3代家光の頃には幕藩体制&鎖国という、幕府支配のしくみが完成します。
17世紀後半、4代家綱、5代綱吉のころ、戦国から続く殺伐とした気風を改めるため、武断政治から文治政治へ移行しますが、幕府の財政は次第に苦しくなっていきます。
それで18世紀には、新井白石、徳川吉宗、田沼意次、松平定信と改革が続きますがうまくいきません。
そうこうしているうちに19世紀、ペリー来航、不平等条約の甘受以降、欧米の力を思い知らされた日本人は政治の仕組みを変える必要性を痛感します。
そうして薩摩、長州は倒幕を目指すようになりますが、15代将軍徳川慶喜は戦いになる前に自ら政権を朝廷に返上し、幕府を終わらせます。1867年の大政奉還です。
明治時代…中央集権の確立、産業の近代化、列強入り
薩摩、長州は王政復古の大号令→戊辰戦争によって旧幕府勢力を徹底的に排除し、新しい政治の仕組みづくりに取り組みます。
廃藩置県によって中央集権化を進め、地租改正によって税制の基礎を作ります。一方で士族を中心とした武力による反抗を武力で鎮圧します。
その後、大日本帝国憲法の制定、帝国議会開設で新しい国造りは一段落。
日清日露戦争にも勝利し、産業革命も成し遂げ、不平等条約の改正にも成功します。これでようやく欧米と肩を並べることができました。
大正時代…デモクラシー、大戦景気から戦後不景気
たった15年しかありませんが、明から暗がはっきりしている時代です。
前半は第一次世界大戦による大戦景気やデモクラシー的な動きもあり明るい時代でしたが、大戦が終わると当然ながら景気は失速します。
その後、関東大震災、世界恐慌と連打を浴びて日本は経済的苦境に立たされます。
昭和時代(戦前)…経済的苦境から戦争へ
既に広大な植民地を持っている国々は、世界恐慌以後ブロック経済圏を作って他国を締め出しました。
日本のような「持たざる国」では経済的苦境打開のために新たに植民地を手に入れなければならないという考えが力を持つようになります。
そうして日本は大陸に勢力を広げようとし、その過程でアメリカとの対立が解決不能となりアメリカと戦争をすることになります。1941年からの太平洋戦争です。
空襲や原子爆弾投下によってとんでもない数の民間人が死ぬことになります。
昭和時代(戦後)…復興、アメリカとの協調、高度成長
戦後は連合国軍総司令部(GHQ)、実質はアメリカの間接統治のもと、国の仕組みを作り変えることになります。
第二次世界大戦後は資本主義アメリカと社会主義ソ連の対立が強まります。
東アジアでは中国大陸で社会主義の中華人民共和国ができ、その後、朝鮮半島で米ソの代理戦争が始まります。
そこで日本は東アジアにおける資本主義側の重要拠点として認識されるようになり、アメリカと日本は協調関係に入ります。
アメリカの軍事的経済的援助もあり、また朝鮮戦争による特需もあって日本は奇跡的な復興を遂げます。
その後1960年代を中心に高度経済成長期、70年代には石油危機で一時的に苦境に立たされますが技術革新によって乗り越え安定成長期となります。
1980年代後半、積極財政と金融緩和によりバブル景気に突入。バブル絶頂のうちに昭和時代は終わります。
バブル崩壊は次の平成に入ってからです。