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日光といえばまず日光東照宮が思い浮かんできますが、華厳の滝や中禅寺湖も見のがすことはできませんね。日光東照宮まで行った場合はついでに華厳の滝や中禅寺湖も見てからなければもったいないです。
さて栃木県の華厳の滝への交通アクセスですが、基本的には日光東照宮まで行く場合と変わりません。
日光駅が最寄りだけど…
しかし、日光東照宮と違って周辺に鉄道の駅がありません。だから自動車で向かうしかありませんね。マイカーで華厳の滝まで行くか、観光バスを使って行くかしかないでしょう。
観光バスの場合は日光東照宮ツアーなどに華厳の滝も組み込まれていることと思います。
自動車での行き方
マイカーで行く場合は、東北自動車道の宇都宮ICから日光宇都宮道路を終点まで進みます。清滝インターチェンジでおりましてあとは清滝バイパスを進みます。
途中、第一いろは坂、第二いろは坂と分かれていますが、どちらを通っても中禅寺湖と華厳滝までたどり着くことができます。
電車とバスでの行き方
また、電車を使っていく場合は、まずJR日光駅か東武日光駅かにたどり着かねばなりません。東京から行く場合は東武日光駅を使うことになると思います。
浅草から東武伊勢崎線、東武日光線とたどりまして東武日光まで行くことができます。
「特急けごん」「特急きぬ」を利用すると浅草から日光まで2時間弱、快速でも2時間ちょっとしかかかりません。
鉄道で日光まで移動しましたら、その後は日光駅からバスで移動することになります。東武バス中禅寺温泉、湯元温泉行きに乗りまして50分。中禅寺温泉というバス停で降ります。
その後は徒歩5分くらいで華厳の滝にたどり着くことができるでしょう。
藤村操「巌頭之感」
華厳の滝というと・・・こういうことで有名になるのもどうかと思いますが、「自殺」で有名になってしまいました。
藤村操(ふじむらみさお)という人ですね。
明治時代の学生で、旧制一高ということなので今の東大教養学部にあたりますが、その、将来を約束されたような人が、華厳の滝に身投げをしたと。
それが、1903年5月22日とのことですから、明治時代の後半ということになります。次の1904年に日露戦争がありますね。
で、なぜ有名になったのかというと、藤村操さんは自殺する前、傍にある木に以下のような文章を書いたからなんです。
巌頭之感
悠々たる哉天壤、
遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
ホレーショの哲學竟に
何等のオーソリチィーを價するものぞ、
萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、
曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、
終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、
大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。
あの、日本史の教科書にのるくらい有名なものですね。「曰く不可解」というところ。
当時はこれを随分美化して、「後追い」をする人も結構いたそうです。
まあ自殺を美化するなんて、今では考えられませんけどね。
世界が「不可解」だから自殺するというのも・・・まだ10代の子供だというのに、わからないのはむしろ当たり前でしょうに。
ちなみにこの「巌頭之感」ですが、木に書かれていたものを写真に取ったものが、現在「お土産」として売られているとのこと。