予言が外れたからバシャールは嘘?

1987年に出版されたバシャールの本にはいろいろと「予言」が書かれてあって、そのいくつかはそろそろ実現していなければならないようです。

1987年時点になされた予言

たとえば、1987年から見て30年以内には、

・地球人類が宇宙人と遭遇する
・平和な世界が実現する
・通貨が別のものと置き換わる
・人類はテレパシーを使うようになる

というものがあります。

外れてる?

で、1987年から見て30年以内ということは、来年、つまり2017年が期限ということなので、

「このどれも実現していないじゃないか!」
「だからバシャールなんて嘘っぱちだ、インチキだ」
「全部ダリル・アンカのでっちあげだ」

と思う人もいるようです。

でもそれは、いくらなんでも基準が厳しすぎるんじゃないでしょうか。

「予言が外れた=インチキ」か?

予言が外れただけで、その存在を否定するというのは・・・

バシャールというのは「異星人」ですが、私たちのような肉体を持った存在ではなく、霊的な存在に近いとされています。

その霊的な存在が、チャネラーのダリル・アンカさんを通してメッセージを伝え、それが現在多数出版されている「バシャール本」となっています。

それで。

とかく私たちは、「宇宙人」とか「霊」とか聞くと全知全能の存在であると思いがちです。

もう、神のごとく思ってしまうわけですね。

だから予言が外れただけで、その存在まで否定してしまいます。

「宇宙人が、霊が、間違えるはずがない」
「なのに予言が外れた」
「だからインチキなんだ」

と。

でもそれって、あまりに酷だと思いますよ。^^;

暗黙のうちに「全知全能」を想定してしまっている

だって、もし宇宙人とか霊とかが存在するとしても、そのみんながみんな「全知全能」なわけないじゃないですか。

むしろ全知全能に近い、神の如き存在などほとんどいないんじゃないでしょうか。

宇宙人や霊が存在するとしても、そのほとんどは程度の差こそあれ不完全な、間違いをおかしうる存在に違いありません。

宇宙人といってもいろいろいるということです。霊といってもいろいろいるということです。

だから、予言が当たると言っても、私たちより少しは精度が高いとか、なんなら私たちより予言が下手とか、そういうことだってありうるわけです。

だから。

予言が外れたように見えるからといって、バシャールの存在自体を否定するのは、行き過ぎなんじゃないかと思います。

当たっている部分もある

そもそも、予言をよく見てみると・・・

・地球人類が宇宙人と遭遇する
・平和な世界が実現する
・通貨が別のものと置き換わる
・人類はテレパシーを使うようになる

完全に当たったとはいえないまでも、部分的にあたっているところはありそうな気が・・・しないでしょうか?^^;

「宇宙人と遭遇する」

まあこれは、個人レベルで「宇宙人に会った」という人は増えているようですが、それほど決定的な遭遇というのはまだないようですね。

安倍総理と宇宙人の大使が握手したりとか。^^;

「平和な世界が実現」

これも、完全に平和とはいえませんが、そろそろ終わりとはいえまだ冷戦中だった1987年、核戦争の危機を感じつつ生きていた時代よりは平和になったと言えそうです。

「通貨が別のものに」

これは実現していると言っていいでしょう。1987年当時はインターネットなんてなかったわけですが、今はお金のやり取りはネット上の数字を書き換えるだけで、そのほとんどが行われています

銀行振込にしたって、ネット上で数字を書き換えるだけですからね。

これを指して「通貨が別のものに置き換わった」と言っても良さそうです。

また、電子マネーも普通に使われるようになっていますね。

「テレパシー」

これに関しては、昔から「テレパシーが使える」という人はいますが、公的な認知度としては、宇宙人と同レベルでしょう。

それでも、30年前に比べればまだ、認める人が増えてきているようです。

得手不得手はあって当然

ということで。

まあ結論としては、予言が外れたからと言って、その予言をした「何者か」自体が存在しないと結論付けるのは飛躍し過ぎということですね。

宇宙人にも、霊にも、神様仏様にもいろいろあるでしょうから、それぞれ得手不得手があって当然ですし、世界のどれくらいの範囲を「見る」ことができるのかは、様々でしょう。