観音経の意味と「神との対話」の共通点【念彼観音力】

観音経はお経の中ではよく知られたものの一つですね。^^

正式には「観世音菩薩普門品」と言って、「法華経」の中の25番目のお経となっています。

で、中でも有名なのは「偈(げ)」の部分ですね。つまり漢字5文字ずつで、詩のように書かれている部分。

それはさておき、この観音経、読む人によって、また同じ人でも読むタイミングによって、様々な気づきが得られるものです。

まあ優れたお経というのはそういうものなんでしょう。^^

最近衝撃を受けた内容

それで私が個人的に、最近「これは」と思った観音経の内容ですが・・・

まず有名な「三十三応身(おうじん)」の部分。

それから七難や三毒などあらゆる悩みや苦しみ恐れを取り去ってくれる、またどんな望みも叶えてくれる、という部分。

なぜこの部分で「これは!」と思ったのかというと、全く関係ないような「神との対話」という本の内容と共通していたからなんです。

「三十三応身」の真意

三十三応身というのは、観音様は教えを説く相手に合わせて、最もふさわしい姿に変身して教えを説いてくれる、というものです。

まあ三十三というのはわかりやすくするためのとりあえずの数字で、本当は無限のバリエーションがあるのでしょう。観音様なんですから。

となるとこれ、観音様が人間の姿をとるとは限らないし、面と向かって説いてくれるとも限らないわけです。

そして、言葉を使って説くとも限らないわけです。

つまり、あらゆる場面で、観音様が教えを説いてくださっていると考えることもできます。

「神との対話」で説かれる「三十三応身」

そして、これと同じようなことが「神との対話」でも書かれています。

ニール・ドナルド・ウォルシュさんの「神との対話」にはこう書かれています。

「どこででも、私の声を聞きなさい。質問があるときはいつでも、私がすでに答えているのだと思いなさい。」
「私の答えはすでに発表されている記事の中にあるかもしれない。制作中の映画の中にあるのかもしれない。昨日作曲されたばかりの歌の中にあるのかもしれない。」
「愛する人の口から出かかっている言葉の中にあるのかもしれない。知り合おうとしている新しい友人の心のなかにあるのかもしれない。」
「私の真実は風のささやき、小川のせせらぎ、稲光、雨音だ。土の感触、太陽の暖かさ、月の満ち欠けだ。」

つまりこの「神」もあらゆる姿で、あなたにメッセージを送っているというわけです。

そして、人生に起こるすべてのことは、その人にとって必要な、最善のことであるとすれば、それらはすべて「最もふさわしい姿」をとって、教えを説いてくれているということになります。

まさに観音様の「三十三応身」と思わずにはおれません。

悟りと「三十三応身」

悟りを開いたあるお坊さんの言葉に、こういうのがあります。

「目覚めれば、そこもかしこも観音様だ」

これは「ワンネス」を表現したものであると同時に、あらゆるところに観音様のメッセージが読み取れる、という意味でもあるのでしょう。

そういう目で、世界を、人生を、日々の出来事を見ていくと・・・ずいぶんと楽な人生になるような気もしますね。

次に。

「念彼観音力」と奇跡

それから七難や三毒などあらゆる悩みや苦しみ恐れを取り去ってくれる、またどんな望みも叶えてくれる、という部分、まあ奇跡を説いた部分ですね・・・これは偈が有名ですね。

「假使興害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑変成池」

から始まる部分。

この部分は

「誰かがあなたを火の燃えさかる穴に落としたとしても、観音様を念ずれば、炎は消えて池となる」

という意味です。

そういう、奇跡的な話がここからどんどん続くわけですね。

で。

観音様が願いを叶えてくれる?

ちょっと読むと「ああ、観音様が願いを叶えてくれるのね」と思ってしまいそうですが、そうではないんです。

有名な「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)」という言葉。

羽田守快さんは「あなたを幸せにみちびく観音さま その教えと信仰の秘訣」という本の中で、こういうことをお書きになっています。

「念彼観音力とは必死になって願望を念ずることではなく、観音さまそのものを想うこと。『彼の観音を念ずる力』と読むのが適切」

「ただ観音さまを思い描いて、日々、経文や真言などを繰り返し唱えることで、観音さまそのものを阿頼耶識にダウンロードする。最も良き異熟は観音さまそのものである」

「信仰の第一段階では観音さまは自分の外にいる。その段階でいただける霊験は、その人の持つ福分の量で決まる。福分がなければ神仏といえどもどうにもできない。因果を超えることはできない」

「第二段階では観音さまを自分の内側に置く。常に観音さまと気持ちを合わせ、自然と福分を積むことになるので、福分が尽きることはない」

「第三段階では内にも外にも観音さまがいると確信する。自分だけでなく他人にも霊験を現すことができる

つまり「念彼観音力」というのは「観音様にお願い」するのではなく、観音様を思うことで、自分自身が観音様と同質になってしまうということなんです。

それによって、

「假使興害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑変成池」

のような奇跡的なことだって現実化できるようになる、ということ。

実は「思考現実化」

これについても「神との対話」で同様のことが説かれています。

私たちは本来、「神と同質」の存在なのだから、それを思い出すことで、思考を自在に現実化できるようになる、と。

「観音様と神様は違うでしょ?」

という人もいるかもしれませんが・・・同じか違うかは誰にもわからないでしょう。^^;
でも偉大な力を持った何かであることに変わりはありません。

それはさておき、とにかく私たちは観音様と同質になる、またはそうであったことを思い出すことで、自在に思考を現実化できるようになると。

それが「念彼観音力」。

そしてもう一つ大事なのは。

恐れるべきものなど何もない

観音経には数多くの恐怖や悩み苦しみの例が挙げられているのですが、ことごとく「念彼観音力」で打ち消すことができると説かれています。

つまり私たちは本来、何も恐れる必要はないし不安になる必要はないし苦しむ必要もないということが繰り返し繰り返し説かれているんです。

それはそうですよね。私たちは本来、観音様と同質だとするなら、恐れるものなど何もありません。苦しむことも何もありません。

そういうことも「神との対話」に書かれていますね。恐れるようなものは何もないんだと。

それによって不安になったり苦しんだりすることもないんだと。

現実は全て自分が作っているのだとしたら・・・そこは非常に大事なところだと思います。

不安や恐怖や苦しみに満ちた人生ばかりを作ってしまうのは・・・絶対に避けたいですよね?

でも自分でそういう人生を作ってしまう人が多い。

だからこそ

「念彼観音力」

私たちは本来、観音様と同質で、いつも観音様とつながっていることを、思い出す必要があります。忘れずに「念」じておく必要があります。

 

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