このページの目次
最近こういうことが話題になりましたので・・・
救命処置中の女性に「土俵から降りてください」そして塩を撒く事件(京都府舞鶴市)
じゃあいったいいつから相撲の土俵は女人禁制になったのか調べてみました。
「相撲=女人禁制」ではない
そもそも相撲自体が女人禁制だった、ということはありえません。
なぜなら日本書紀に、他でもない天皇陛下が女性に相撲を取らせているからです。
日本書紀では、5世紀頃の雄略天皇が女性に相撲を取らせたという話が出てきます。
また、その後も「女相撲」などと呼ばれて、女性が相撲を取る、それを多くの人が観る、ということは珍しくもなかったようです。
神事だから女人禁制、でもなさそう
「それは見世物としての相撲で、神事としての相撲は女人禁制なんじゃないの?」
と思いましたが、それも違うようです。
明治時代のもので、「女相撲」を描いた絵馬が、神社に奉納されている例があります。
女性力士が列をなして、鳥居をくぐって境内に入場する様子を描いたものです。
つまり神事としても、女性が相撲を取ることがあったのでしょう。
そうではなくて想像で描かれたただの「絵」にすぎないとしても、もし「神事だから女人禁制」なら、神社がこういう絵馬を受け取るとは考えにくいです。
「ふざけた絵馬を納めてはいけません。神様に怒られますよ」
なんて言われそうじゃないですか?
だいたい、神事だから女人禁制というのであれば、巫女さんは消えてしまうことになります。
大相撲だけ女人禁制?
「じゃあ『大相撲』だけ、女人禁制の伝統があるのかな?」
と思ったのですが、これもそうでもないようなんです。
現在の大相撲の前身は、両国回向院での勧進相撲なのですけど、その同じ場所で、明治時代の中頃に「女相撲」が行われているんです。
ちなみに両国回向院があった場所に、現在は両国国技館があります。
つまり両国国技館で女性が相撲をやったようなものですよね。
以上のような話は、こちらの資料に詳しいです。
こういう歴史を見ると・・・どうも「相撲は神事だから女人禁制」と言われても、理解に苦しむことになります。
なぜ女人禁制となったのか
上記資料では「女人禁制」とされたのは、明治時代の後半ではないかと書かれています。
なぜそういうことになったのかというと、日本はその時代、欧米に負けない「近代国家」として認められたかったんですね。
だから
「半裸の力士が戦うなんて、欧米人に野蛮と思われるんじゃない?」
なんて考える政府の偉い人も増えてきたんだとか。
でも「相撲自体を禁止するのはいくらなんでも…」という考えも当然ありました。他でもない、明治天皇陛下が相撲大好きでらっしゃったということですし。
それで、
「せめて女性が半裸で戦うのは禁止したほうがいいんじゃない?」
という流れになって・・・でもそれにはなにか「口実」が必要だから、「穢れ」という考え方が利用されたんじゃないかという話です。
それ以外にも「封印したい悪しき記憶」もあったようですが、それについてはここに書くのは憚られますので、上記資料をご覧になってください。
子供相撲まで?
最近では「ちびっこ相撲」まで、「女人禁制」となったなんて話題になりましたけど、これは相撲協会が関わるイベントだったからでしょう。
相撲協会とは無関係に行われるイベントであれば、女人禁制ということは言われないはずです。
追記:江戸時代には女性の観戦も禁止された?
「江戸時代には女性が勧進相撲を観戦することも禁止されたくらいだから、それくらい女人禁制は厳しいんだよ」
という話もありますが、江戸時代に女性が観戦を禁止されたのは、単に
「危険だから」
だったようです。
「火事と喧嘩は江戸の華」じゃありませんが、勧進相撲の会場では、観客同士エキサイトして喧嘩を始めることが多かったようです。
そこに女性がいちゃ危ないということで、禁止されたんですね。
その証拠に、千秋楽は観ても良いことになったそうですし・・・
あ、その頃の勧進相撲は今と違って、千秋楽はもう、人気力士の取り組みが終わったあとだったんだそうです。
つまりエキサイトする要素がない日。
それから、相撲の「練習」も観てよかったそうですので、やはり「女人禁制だから観るのも禁止」ということではないですね。