八幡宮とはもちろん神社の一種ですが、八幡神を祀った神社がそう呼ばれます。
八幡神を祀った神社は全国に1万社~2万社あるといわれ、これは稲荷神社に次ぐ数だそうです。・・・ってお稲荷さんってそんなに多かったのか。
八幡宮の総本社はどこ?
八幡宮の大元、総本社ですがこれはもう大分県の宇佐八幡宮ということになります。全国の八幡宮もここから御分霊を勧請したのでした。
さて、八幡宮が祀る八幡神とはいかなる神様かといいますと、もともとは九州北部にいた豪族の氏神だったのですけど、どうやら生前は「応神天皇」という方だったようです。
宇佐八幡宮にそう言い伝えられているようですね。
霊験あらたかということで、豪族の守り神にしておくには惜しいということでしょうか。朝廷の西の守り神となりました。
宇佐八幡宮神託事件とは
宇佐八幡宮というと道鏡の神託事件でで有名です。
道鏡という僧侶が称徳天皇という女性天皇と仲良くなりまして自らが天皇になろうとしたのですね。論拠としては、宇佐八幡宮でそういう神託があったと。
そこで本当にそんな神託があったのか確かめるために、和気清麻呂が宇佐八幡宮に派遣されます。
道鏡は和気清麻呂のことを仲間だと思って安心していたのですけど、帰ってきた清麻呂はそんな神託はなかったと証言しまして道鏡は失脚に追い込まれます。
しかし、朝廷の権力者の行く末を左右する力を持っているなんて神託恐るべしですね。現在では考えられません。
なぜ神様なのに「南無八幡『大菩薩』」なのか
さて、このことに感謝した朝廷は宇佐八幡神に「八幡大菩薩」の号を贈ります。これはすごいと思いませんか?
だって、「朝廷」が、「神様」に対して、ご褒美をあげているように見えるじゃないですか。
少なくとも朝廷は神様と同格ということではないですか。やっぱり当時は天皇陛下は神様と同じように思われていたということなんですね。
それにしても・・・神様に大菩薩の称号を贈るとは、神様よりも大菩薩のほうが上という認識なのでしょうか。
何はともあれこれ以来八幡神は仏法も守護する神様にもなりました。
武士の守り神になったのはなぜ?
八幡神はもともと、農耕の神であるとか海の神であるとか鍛冶の神であるとかいわれていますが、武士の守り神でもあります。
戦いの前に「南無八幡大菩薩」と唱えたりするのですね。
それじゃあいつから武士の守り神になったのでしょうか。
これは平安時代半ばからのようです。八幡神は応神天皇であるとも言われています。
それで、天皇家から別れた源氏が、天皇家の神である天照大神とは別に天皇家ゆかりの神である八幡神を自らの守り神としたようです。
前九年後三年の役で活躍した源義家は「八幡太郎」とも呼ばれますね。
そして源頼朝が、源氏の守り神として鎌倉に鶴岡八幡宮を作り八幡神を勧請したと。しかしその鶴岡八幡宮の石段で三代実朝が斬殺されて源氏の将軍は潰えてしまうのだから皮肉なものです。
まあしかし源氏以来八幡神は武家の守り神となりました。
これは天照大神を中心にすえる朝廷とは、別の力の源と別の権力秩序を持とうとした武家の意志の表れかもしれません。
応神天皇ってこんなに昔の人なのか!
八幡神は応神天皇(おうじんてんのう)だという言い伝えがあることを書きましたが、それでは応神天皇とはいったいいつごろの天皇なのでしょう。
応神天皇はなんと、在位が西暦270年から310年までといわれています。これってほとんど弥生時代ですね。卑弥呼の時代より少し後という感じです。
この時代に天皇がいたのかどうか分かりませんが、少なくとも天皇陛下の祖先は存在したでしょう。
しかし応神天皇の在位は4世紀後半であるという説もあり、こちらの考えでは次の仁徳天皇と同一人物ではないかという説も出てきます。
あの、世界最大の大仙古墳、仁徳天皇陵の人ですね。
意外にも八幡神ってグループ名?
さて、八幡神ですが、応神天皇だけでなく、各地の八幡宮に見られるように他の皇族や神々もまとめて八幡神と呼ばれることがあります。
その場合は応神天皇・神功皇后(じんぐうこうごう)・比売神(ひめのかみ)で八幡三神と呼ばれます。
神功皇后は応神天皇の母親です。妊娠したまま朝鮮出兵に出かけたというすごい伝説が残っています。
比売神は特定の神様の名前ではないようです。八幡神としては宗像三女神であるとかいう説が有力なようです。
宗像三女神とは、田心姫神(たごりひめ)・湍津姫神(たぎつひめ)・市杵島姫神(いちきしまひめ)の三柱の神々で、海の神、航海の安全を守る神様と考えられています。
八幡宮以外にも、全国の宗像神社や厳島神社で祀られています。
八幡神=八幡三神=応神天皇+神功皇后+比売神
比売神=宗像三女神=田心姫神+湍津姫神+市杵島姫神
ということなので、「八幡神」というだけで最大五柱の神々を指し示すことになります。