雲霧仁左衛門が駆けた江戸、今はどうなってるか見に行ってみた~王子、浅草、亀戸、錦糸町、市ヶ谷

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山富貴

上野
池波正太郎さんの小説、「雲霧仁左衛門」このお店のシーンから始まります。
五色茶漬けで有名な「山富貴」。おそらく「やまぶき」と読むのでしょう。
「江戸切絵図」で位置を確認してみますと、
上野駅の中央改札を出て、道を渡った向こう側に山富貴はあったと推測できます。
しかし山富貴があった場所の現在の様子は写真の通り。
なんと丸井になっています。今でも五色茶漬けは売っているのでしょうか・・・
売っていたら楽しいのに。

さて、このお店で、物語前半の主人公と言っても言いすぎではない、
松屋吉兵衛が登場します。
吉兵衛は名古屋に店を構える商人、
しかも御三家尾張徳川氏に莫大なお金を貸し付けているほどの大商人なのですが、
この日は江戸の伯父のところへ遊びに来ています。
そしてお茶漬け屋なんかで何をしているかというと、
どうも、遊び相手の女のところへ連れて行ってくれる人間を待っているらしい。
吉兵衛は商売はすでに申し分ないですし、跡取りも育ったということで
楽しみはこれだけだと言っています。

「わしはもう、面倒な女房なぞ、かまえてもらわぬつもりじゃ」

と嘯く吉兵衛。
その吉兵衛のもとに、案内人としてやってきたのが大きなほくろのある小柄な男。
彼こそ、雲霧一味の一人、「三坪の伝次郎」なのですが、
吉兵衛はそんなことはつゆ知らず、
女のもとへ連れて行ってもらえると胸躍らせているわけであります。

もちろん案内される先にいる女も雲霧一味、「七化けのお千代」です。
お千代は「やんごとなき尼僧」を演じ、
見事に吉兵衛を手玉に取ります。そうして吉兵衛の店に入り込んでいくのですね。

しかし商売の世界では何十年にもわたって抜け目なく振る舞い、
尾州徳川と取引までするようになった吉兵衛でさえ、
美人には手もなくひねられてしまう・・・。
こわいこわい。
上野
グーグルマップ(http://maps.google.co.jp/maps)より

関口道場

亀戸
私はJR錦糸町駅南口を出て、丸井のある大通りを東へと進みました。
一刀流の剣客、関口雄介の道場を目指したのであります。
ひょっとして現在でも剣術道場があるのではないかと期待しつつ。

いくつか交差点を渡り、横十間川にかかる橋を渡ります。
地図で推測したよりも距離があるようでしたが、
暗く寒い中をひたすら東へ歩きました。
そうして、目印になる建物「デニーズ」をやっと見つけることができました。
デニーズがあるブロックの手前の角を左折です。
頭上には線路が斜に走っています。

そして歩くこと数ブロック、私はついに関口道場のあった場所にたどり着きました。
や!
これは道場への入り口ではないでしょうか!?
私は中に入ってみることにしました。

それにしてもグーグルマップで確かめてみると、
錦糸町駅よりも亀戸駅のほうがはるかに近いですね・・・・・・
亀戸
亀戸
グーグルマップ(http://maps.google.co.jp/maps)より

亀戸駅のほうがはるかに近いにもかかわらず、
錦糸町駅から延々歩いてやっとのことで
関口道場のあった場所にたどり着いた私でした。
そこで道場への入り口の門のようなものを見つけたのです!

これは今でも関口氏の子孫が道場をやっているのでは!
期待に胸をふるわせつつ私は扉を開けようとしました。

しかし・・・・・・

大方の予想通り扉には鍵がかかっていました。
でもここまで来て諦めるわけにはいきません。
私はどこか入り口はないかと辺りを必死で見回しました。
そうしたら・・・なんのことはない、塀の端を回りこんで入ることができました。
そこで私が見たものは・・・
亀戸
なにやら広場がありました。
ひょっとしてここで門下生は稽古に励んだのでしょうか?

ん?

向こうに見えるのは滑り台・・・。
剣士の稽古場に滑り台は似合いませんね。しかもさらに向こうは自転車置き場。
残念ながら、すでに関口道場は存在しないようです。
その証拠に回れ右をしてみると・・・
亀戸
なんと高層マンションが建っているじゃあありませんか。
江戸時代はこの辺り一体は小梅村と呼ばれる農村でした。
それが今では高級マンションの敷地になっているのでした。
関口さん、現在までここの土地を持ち続けていたなら大富豪ですね・・・
亀戸
グーグルマップ(http://maps.google.co.jp/maps)より

喜右衛門の家

墨田区業平
喜右衛門とは駒寺の利吉の父親であります。
利吉とは暁星右衛門の盗賊団を裏切って情報を盗賊改方にわたそうとした人物です。

上の写真は、喜右衛門の家があったはずの場所です。
墨田区業平五丁目。
当時は妙見堂があって、その隣を柳島村といったらしいです。
そこが駒寺の利吉の故郷。今ではここにも高層ビルが並んでいます。
利吉は盗賊などにならなくとも、さらには仲間を売って金を得なくとも、
自分の土地を現代までじっと持っていれば子孫は大富豪になれたはずなのです・・・

さて、喜右衛門の家は池波正太郎さんの「雲霧仁左衛門」序盤の見せ場であります。
雲霧一味の幹部、因果小僧六之助が利吉の命をねらうのですが、
それを「通りがかり」の関口雄介が邪魔して利吉を救出してしまいます。

「このごろはおのれらのような無頼どもが跋扈して悪事を働くので、
皆が迷惑している。こらしめてやるからかかってこい」

関口雄介は道場をやっておりまして、めっぽう強いから
雲霧一味の中で最も血の気の多い六之助でもまったく歯が立たないのでした。
この大立ち回りが行われたのは写真より少し北の、
北十間川が流れている辺りだと思われます。

さて、関口氏の門下生には盗賊改方の同心が幾人かいたものですから、
利吉の持っていた情報が盗賊改方に渡ってしまうのですね。
しかし、六之助らはそれを知らず、喜右衛門の家を見張るわけです。利吉を襲うために。
そこを逆手にとって、盗賊改方の山田藤兵衛や高瀬俵太郎は喜右衛門の家で
彼らを待ち伏せ、利吉に扮した目明しの政蔵を使って一味をおびき寄せます。
このとき雲霧側には小頭の吉五郎を筆頭に六之助らがいたのですけど
まんまと騙されて誘い込まれ、一網打尽・・・になるかと思いきや、
小頭の吉五郎だけは逃げてしまいます。
このとき見せた吉五郎の身体能力がすばらしい。
井口同心の攻撃をかわし、なおかつ井口の頭上を飛び越えて逃げます。

ただ、六之助らは捕まってしまうのですね。
その六之助がどうなるかは、別の機会に・・・

墨田区業平
グーグルマップ(http://maps.google.co.jp/maps)より

ついでに・・・
関口道場と、喜右衛門の家を直線でつないだ中間地点辺りに
亀戸天神がありましたので撮影して帰りました。
夜の9時ごろでしたから誰もいませんでしたね・・・
亀戸天神

アーチをいくつか渡っていくと、拝殿にたどり着きます。
亀戸天神

拝殿です。
亀戸天神

火付盗賊改方役宅

火付盗賊改方
JR飯田橋駅で降りて、線路の東側の道を市ヶ谷のほうへ向かって
しばらく歩きますと法政大学があります。
法政大学の南側には富士見坂と呼ばれる通りがありますが、
江戸時代にはこの通りに面して、幕臣安部式部信旨の屋敷がありました。
おそらく現在の法政大学図書館がある辺りではないでしょうか。
火付盗賊改方
そして当時はこの安部式部の屋敷が
そのまま火付盗賊改方役宅として使われていました。
当時というのは18世紀前半のことです。徳川吉宗の時代。

池波正太郎さんの「雲霧仁左衛門」では、
雲霧一味の敵役となるのはこの火付盗賊改方ですから、
安部式部邸は頻繁に物語の中に登場することになります。

大体は、盗賊改方の長官である安部式部と
与力の山田藤兵衛、同心高瀬俵太郎らのやり取りのシーンなのですが、
物語中ニ度、ここ安倍式部邸で衝撃的な事件が起こります。

まず、物語前半で、捕らえられた因果小僧六之助を逃がすために、
雲霧一味と内通していた与力の岡田甚之助が役宅に放火し、火事になってしまいます。
「火付」盗賊改方の役宅が放火されてしまっては、長官安部の面子丸潰れですので
安部を敬愛する部下たちの怒りを掻き立てることになります。

次に物語の後半では、なんと役宅門前にて件の岡田与力が斬殺されてしまいます。
こんな大胆なことをやってのけるのは雲霧仁左衛門その人以外にはありません。
三坪の伝次郎に誘い出された岡田を一瞬で斬り倒し、
そのまま徒歩で逃走してしまいます。
「殺さず」が身上の仁左衛門ですが、
それは飽くまで堅気の人間が相手の場合だけのようです。
火付盗賊改方
おそらくこの写真のような壁際で、伝次郎が岡田甚之助を誘い出したのでしょう。
夜の富士見坂は血を吸って黒々としているように見えました。
岡田さん、私の前に出てこないでください。
南無阿弥陀仏。
火付盗賊改方
グーグルマップ(http://maps.google.co.jp/maps)より

仁左衛門の本拠

王子
本拠といいましても、雲霧仁左衛門は頻繁にアジト=盗人宿を変えますので
一時的なものでしかありません。
一箇所にとどまれば、捕捉される確率が高まりますので当然のことでしょう。
とはいえ池波正太郎さんの小説後半では、
仁左衛門はほとんどこの王子近くの盗人宿で過ごしています。

ということですから私はどうしても王子を訪れなければなりませんでした。
私はJR京浜東北線の王子駅親水公園口に降り立ちました。
しかし、初めての方は気をつけてください。
王子駅周辺は道が立体的に入り組んでいて複雑です。
さすが雲霧仁左衛門が本拠として選んだ地であります。
私など、簡単に迷ってしまいました・・・・・・
王子
(盗賊改方の高張提灯に見えました)

結局私は460号線に出て北区役所の前を通り過ぎ、
交差点を左折して進みました。そうするとスーパー「サミット」がみつかります。
迷って疲れましたしお腹も空いてきたので、ここで割引のお弁当を買って腹ごしらえ。
その後サミットのある交差点から南下し、
目印になる建物、「金剛寺」を発見しました。
いよいよ仁左衛門を追い詰めることができます!
金剛寺
盗人宿
グーグルマップ(http://maps.google.co.jp/maps)より

地図を見るとわかるとおり、私は遠回りをしています。
実際音無川沿いの道をたどっていけば、金剛寺の傍まで迷わず行けるのでした・・・

としま屋

岩屋弁天
金剛寺と音無川の間に道があって、
そこを進むと写真のような「弁財天洞窟跡」にたどりつきます。
雲霧仁左衛門が江戸での本拠にしていた茶店「としま屋」は
この近くにあったはずなのです!

池波正太郎さんの小説の中では「岩屋弁天」として出てくる弁財天洞窟ですが、
江戸時代には観光名所だったようですね。「江戸名所図会」にも描かれています。

「この地は石神井河の流れに臨み、自然の山水あり。
両岸高く桜楓の二樹枝を交へ、春秋ともにながめあるの一勝地なり」

と書いてあるようですね。しかし現在は護岸工事のために岩屋もありませんし
弁天様もおられないようです。寂しい限り。
ただこの辺り、現在は公園になっているようです。
音無緑地公園
しかし私の使命は雲霧仁左衛門の居場所を突き止めることでした。
私は必死で辺りを見回して、としま屋の建物らしきものを探しました。

その時でした。
周囲を探索する私は、何者かの視線を感じたのです。
ひょっとして!辺りを嗅ぎ回る私を雲霧一味のものが始末しに来たのでは!?
誰だ!おまえは!!!
岩屋弁天
違ったようです・・・・・・
カルガモを従えた雲霧仁左衛門なんてありえません。
その後私は、公園内に建物を発見しました。
これこそとしま屋ではないか!? 現在まで残っていたのか!!
岩屋弁天
違ったようです・・・・・・
公衆トイレでした。
危険を察したのか、雲霧は既にこの地を後にしていました。
辺りには都営住宅が立ち並ぶのみでした。
岩屋弁天

浅草通り

浅草通りは雲霧一味と盗賊改方の決戦の地ですので是非とも訪れなくてはなりません。
私は上野駅から浅草通りを東へ向かうことにしました。
上野駅の浅草口から陸橋を渡って浅草通りを目指します。
陸橋の上には妙なオブジェが・・・
浅草通り

陸橋の突き当たりで左側に下りて少し進みますと交差点があり、
そこを右へ折れると浅草通りに入ります。
浅草通り
ここが浅草通りの西の入り口です。上野警察署がある通りですね。
それにしてもやたらと仏壇屋さんが目に付きました。
あとで「江戸切絵図」を見てわかったのですけど、
この浅草通り、江戸時代はお寺がずらっと立並んでいたんですね。
それで仏壇屋さんが多いのかと思ったのですが・・・関係ないですかね。

現在の浅草通りは幅が20メートル以上ありそうな道路です。
多くの自動車が行きかい、排気ガスが空気を満たしています。
雲霧一味も盗賊改方も、現在のこの通りを見たらさぞかし驚くことでしょうね。
浅草通り

留吉と富の市

浅草通りを東へ東へと歩きました。
午後8時をまわっていたと思いますが、車の通りは多く、
呼吸が荒くなると排気ガスでのどが痛くなってきます。
それでも目印となる「セブンイレブン」目指してひたすら歩きました。

いくつもの交差点を通り過ぎ、松が谷一丁目の交差点までたどりつきます。
そうするとセブンイレブンが見えてきますので、
その向こうにある角を右に折れます。
この近くに、留吉や富の市の家があったはずなんです。

留吉にかんして、池波正太郎さんの小説にはこう書かれています。

「万福寺という寺の前に、小さな煙草屋の店をだしている留吉というのは、
政蔵が、このあたりに探りの用があるとき、下働きしてもらう中年男で、
ふだんは田原町一丁目に住む御用聞き、宇之助の下で働いている」

彼は富の市が仁左衛門との契約で「引き込み」を引き受けているというのを
突き止めるのに役に立ってくれています。
さて、万福寺というお寺はありませんでしたが、江戸切絵図を見ると、
留吉の家の近くに大乗院というお寺があるのがわかりました。
道をしばらく行くと、右手少し入ったところに大乗院が見つかりました。
大乗院
このお寺、現在ではモダンな建物になっていますけど
江戸時代からここにあるんですねぇ・・・
そしてこの周辺に留吉の家があったはずなのですが、
そこにあったのは駐車場と民家、そして美容室。うーむ。煙草屋はありません。
地図では①の辺りになります。
下ばたらき

さらに南へと移動して、元浅草3丁目に入る辺りに富の市の家があるはずです。
富の市とは、盲目のふりをしている按摩師で、
実は盗賊団の引き込み役を自分の仕事としております。
さて、その富の市の家があるはずの十字路ですが・・・ん?
引き込み
地図では②の辺りなのですが・・・自動販売機がずらりと・・・。
いまでもマッサージ屋さんか鍼灸院かがあるのかと思いきや、
ベンダーだらけになっていようとは。
富の市も我が家を見てさぞかし驚くことでしょう。
そういえば富の市はここから雲霧の標的である越後屋(地図の③)に通うのですが、
そのためにはあの浅草通りを渡らねばなりません。
おそらく、富の市さんは車にひかれてしまうのではないかと・・・
浅草

越後屋

越後屋といっても三井高利の越後屋ではありませんが、
「雲霧仁左衛門」の越後屋もお金をたくさん蓄えているということで
標的に選ばれてしまいました。
この越後屋ですが、富の市の家からほど近い場所にありました。
当時の住所としては浅草新寺町菊屋橋西詰ということですが、
菊屋橋交差点なら現在でも浅草通りに存在しますので、
越後屋の場所は見つけやすいわけですが・・・・・・

現在の越後屋の姿を見て驚きましたね。
何だと思います?
これです。
越後屋
モスバーガー!
だと思ったのですけど、江戸切絵図と現在の地図を重ねてみると、
越後屋はほとんど現在の道路の上になってしまいます。
そこでモスバーガーのお隣のこちらのほうが越後屋に近いようです。
越後屋
はい。白衣屋さん、それから「世界の食器ニイミ」というお店ですね。
地図でいいますと③の辺りになります。

越後屋はお菓子を扱うお店なのですけど、それが今は白衣と食器とハンバーガー。
ハンバーガーはまだ同じ食べ物ですし食器も食べ物関係でうなずけますが、
白衣にまで手を伸ばすとは、越後屋さん、M&Aでもしたのでしょうか。

さて、この越後屋は、雲霧一味と盗賊改方の決戦の場所です。
仁左衛門の決定に従い、雲霧一味は越後屋の裏手(モスバーガー?)に集結。
しかしそこにはすでに盗賊改方の手が回っていて・・・・・・
その後どうなるかは、池波正太郎さんの「雲霧仁左衛門」をお読みください。
両者仲良くエビバーガーを食べるとかいう話では決してありません。
越後屋
グーグルマップ(http://maps.google.co.jp/maps)より

東本願寺

越後屋から東へ交差点を渡るとそこは東本願寺があった場所でした。
昔の東本願寺は今よりも敷地が広かったようなのです。
また、越後屋と東本願寺との間には、今のような道路ではなく川が流れていました。
それで盗賊改方は、川を挟んで越後屋の向かいにある、
東本願寺の土蔵を借りて、越後屋を見張ることにしたのですね。

では現在はその見張り場たる土蔵があった辺りには何があるのかと。
すでにそこは東本願寺の敷地ではなく土蔵もないわけですけど、
そこにあるものに私はまたしても驚きを禁じ得ませんでした。
(地図④の辺り)

なんと、300年の時を経た今でも見張っているじゃあありませんか!
しかも現在は盗賊改方ではなく、桜田門関係のお役人です!!
菊屋橋交番
交番です!

まったく、盗賊改方の執念には頭が下がります。
彼らの末裔が、江戸の町の治安を今でもこうして守ってくれているわけです。
感謝。
交番の隣にもやはり土蔵はなく、合羽橋道具街の商店が並んでいました。
かっぱ橋道具街

さてそれでは東本願寺はどこへ行ってしまったのか。
東本願寺に行くにはここから少し歩かねばなりません。まあ、少しだけですが。
越後屋から交差点を渡って交番の前を通り過ぎますと、
左に折れる道が見つかりますのでそこに入ります。
あとはまっすぐすすむだけで見間違えようのない東本願寺に出会えます。
(地図⑤の辺り)
東本願寺
参考:本山東本願寺
もちろん、夜でしたので門は固く閉ざされていました。
しかしこのお寺の土蔵に盗賊改方の面々は潜み、
雲霧一味を一網打尽にする瞬間を粘り強く待ったのでした。
東本願寺
グーグルマップ(http://maps.google.co.jp/maps)より

茶店むさしや

せっかく浅草まで出てきましたので、浅草寺にお参りに行きます。
私は上野駅から歩いてきましたので、浅草通りから東本願寺へ、
東本願寺の前で右に曲がってまっすぐ進み大通りへ、
そこで左に折れてしばらく進みますと雷門1丁目の交差点がありますので
そこから雷門通りへ入ります。
雷門の写真はトップページに掲げましたので、
ここでは雷門を後ろから撮った写真を。
雷門
「風雷神門」と書いてありますね。方向によって呼び名が変わるのか?
と思ったら「風雷神門」が正式名称らしいです。
10世紀にはすでに存在していたというからすごいですね。
ちなみにヘッドバナーに使っている龍のレリーフは、
あのでっかい提灯を真下から撮影したものです。
見たことありましたか?

さて、既に閉店しているお店の立並ぶ仲見世通りを浅草寺に向かって歩くと
また門があります。こんどは宝蔵門というようですね。
宝蔵門
うーむ。仁王様が門番として立っているようです。
入れてもらえるのでしょうか・・・・・・
私はこれでも仏教徒なので大丈夫でしょう。
この宝蔵門、かつては仁王門とも呼ばれていたようです。

宝蔵門をくぐってしばらく進むと浅草寺の本堂になります。
浅草寺の本尊は観音様だそうですから、観音像が見られるのかと思ったら
既に閉まっていました・・・・・・
浅草寺
ただ、本尊の観音像は秘仏とされているらしく、公開はされないそうです。
私たちが見られるのは、公開用に作られた観音像の方なのですね。

さて、本堂を拝したら右に方向転換して二天門から外に出ます。
そして江戸通りと交わるところまで歩きまして、
丁字路の左の角の方を見ます。
そこに、池波正太郎さんの「雲霧仁左衛門」の
主人公の一人、目明しの政蔵の家があったはずなのです。
政蔵の家は「むさしや」という茶店です。
茶店
「むさしやは金龍山浅草寺の矢大臣門を出た左側にある。
この茶店は政蔵の女房お延が、政蔵の老父嘉助と共にやっている」

とのこと。
目明しなんて真面目にやっていると決して儲かる仕事ではなかったようですが、
奥さんがしっかり茶店を経営して家計を支えてくれているので、
政蔵親分は世のために存分に働けるというわけですね。
むさしやの場所は、地図の①の辺りになります。
②は浅草通りとの交差点。ここを入っていくと決戦場の越後屋まですぐです。
隅田川

山谷堀

浅草寺を二天門から出て、北に少し進みますと、
路地を入ったところに「合力稲荷神社」という神社があります。
合力稲荷神社
この神社の北側には、北西の吉原から南東に向かって、
隅田川に出られる堀があったようです。山谷堀と呼ばれます。
江戸時代にはこの堀を多くの舟が行き来していたようです。
しかしこの歴史的な堀、昭和50年ごろに埋め立ててしまったようなんですよ。
利便性を求めてのことなんでしょうが、なんだかもったいない気がします。

さて、合力稲荷神社の近辺に、江戸時代には「三好屋」という船宿がありました。
この写真のあたりのはずですが・・・アスファルトになっていますね。
地図では①の辺りになります。
船宿
三好屋は音八という元盗賊が経営しているのですけど、
いまだに連絡場所=「つなぎ」として店を貸すことがあるようです。
ということで雲霧仁左衛門もここを利用していました。
仁左衛門はここから越後屋への盗めに出発するのです。
もちろん山谷堀を舟で下っていきます。
今は堀はありませんので、私は道路を下っていくことにしました。
途中信号を渡りますとこんな看板を発見します。
地図では②の辺り。
山谷堀公園
先ほども申しましたとおり、山谷堀は埋め立てられまして、
今は公園になっています。
夜の9時を過ぎてかなり寒かったのですが、公園で寝ている人もいました。
埋め立てられてはいますが、堀の面影は残っているようです。
地図の③の辺りです。
山谷堀公園
さらに堀の跡を下っていきますと、江戸通りに出ます。
そこを渡ると隅田川の河畔に到達します。
やはりかつてはさかんに渡し舟が行き来していたらしく、
石碑が立っていました。
山谷堀公園
「竹屋の渡し」と書いてありますね。

そして隅田川に出ます。これほど広い川とは知りませんでした。
地図の④ですね。
雲霧仁左衛門は越後屋を襲う当日、ここから隅田川を南下し、
浅草通りの近辺に向かいます。
隅田川
隅田川
グーグルマップ(http://maps.google.co.jp/maps)より